熊野神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

熊野神社の歴史を時代別年表にまとめ
熊野神社の歴史を簡単にまとめています。熊野神社は811年(弘仁2年)に修験道の祖である役行者・役小角の十世僧・日円上人(日圓上人)が国家護持の為に紀州(和歌山)・熊野権現(熊野大神)を勧請したのが起源と言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【聖護院の森】
●熊野神社が祀られている場所一帯はかつて鬱蒼とした森が広がっていたと言われています。森は紅葉が錦の織物の様に美しかったことから「錦林」とも言われ、現在も地名が残されています。また森には御殿が造営され、「森御殿」とも言われていました。なお森は1090年(寛治4年)に聖護院(しょうごいん)が創建されると聖護院の森と言われるようになりました。
【熊野神社の起源・始まり】
●熊野神社は811年(弘仁2年)に修験道(しゅげんどう)の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづぬ)の十世僧・日円上人(にちえんしょうにん・日圓上人)が国家護持の為に紀州(和歌山)・熊野権現(くまのごんげん・熊野大神(くまののおおかみ))を勧請したのが起源と言われています。熊野神社は熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)・新熊野神社(いまくまのじんじゃ)とともに京の熊野三山に数えられました。ちなみに熊野神社は熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)、新熊野神社は熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野若王子神社は熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)に対応しています。なお熊野若王子神社・新熊野神社はいずれも1160年(永暦元年)に創建され、熊野神社は京の熊野三山の中で最古の神社です。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
●1090年(寛治4年)に白河上皇(第72代・白河天皇(しらかわてんのう))の勅願により、聖護院が創建されると熊野神社が聖護院の守護神になり、別当職(べっとうしょく)が置かれました。聖護院は1090年(寛治4年)に白河上皇が熊野三山を参詣する熊野詣(くまのもうで)を行った際、先達(せんだつ)を勤めた功により、園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))の増誉大僧正(ぞうよだいそうじょう)が役行者・役小角が創建したと言われる常光寺(じょうこうじ)を賜り、「聖体護持」の二字から寺号を聖護院に改めたのが起源と言われています。なお白河上皇は近くにある熊野として熊野神社を篤く崇敬しました。
●1112年(天永3年)に熊野新宮祭が行われたと言われています。
●平安時代後期に34回も熊野詣を行った後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))から篤く崇敬されました。後白河上皇は熊野から持ち帰った土や樹木によって熊野神社を整備しました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
●1396年(応永3年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)から広大な社地を寄進されました。境内の西側は鴨川(かもがわ)に至る広大なものになりました。
●1467年(応仁元年)に応仁の乱(おうにんのらん)が起こり、社殿が焼失しました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1666年(寛文6年)に聖護院宮道寛法親王(しょうごいんのみやどうかんほうしんのう)が令旨を下し、再興されました。
●江戸時代中期に第119代・光格天皇(こうかくてんのう)が大神輿を寄進しました。
●1835年(天保6年)に社殿の大修造が行われました。現在の本殿は下鴨神社(しもがもじんじゃ)から社殿が移築されて建立されました。本殿は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)・天照大神(あまてらすおおかみ)・速玉男尊・事解男尊を祀っています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●1912年(大正元年)に市電丸太町線が開通し、1926年(大正15年)に東大路通(ひがしおおじどおり)が拡幅されると境内が縮小しました。
●1994年(平成6年)頃に平安遷都1,200年記念により、八ツ橋中興の祖・西尾為治像が建立されました。
【熊野神社を創建した日円上人】
日円上人(日圓上人)は生没年など詳細不明です。平安時代(794年~1185年)前期の天台宗(てんだいしゅう)の僧で、阿闍梨(あじゃり)だったと言われています。
【熊野神社の歴史 備考】
*参考・・・熊野神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)