鞍馬寺の見どころ-修学旅行・観光の簡単まとめ

鞍馬寺(Kurama-dera Temple)

鞍馬寺の国宝・重文などの文化財の見どころ解説

鞍馬寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊を祀る本殿金堂、護法魔王尊像を祀る多宝塔、湛慶作と言われる仁王尊像を祀る仁王門などがあります。また転法輪堂・魔王殿・義経堂なども見逃せません。

【千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊を祀る本殿金堂の解説】

  • 概要:本殿金堂は絶対に見る価値があるハイライトです。本殿金堂は境内の高い場所に建立された本堂(中心道場)で、内内陣・内陣・外陣に分かれ、地下の宝殿に信徒の清浄髪が祀られています。本殿金堂は三身一体で、尊天とも言われる本尊である千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)・毘沙門天王(びしゃもんてんおう)・護法魔王尊(ごほうまおうそん)を安置しています。また本殿金堂は脇侍(わきじ)に役行者(えんのぎょうじゃ)・遮那王尊(しゃなおうそん)も安置しています。更に毘沙門天のお使いである阿吽の虎(神獣)も祀られています。本殿金堂には扁額「尊天」が掛けられています。
  • 歴史:本殿金堂は1945年(昭和20年)に焼失し、1971年(昭和46年)に再建されました。
  • 様式:本殿金堂は鉄筋コンクリート造です。本殿金堂は入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
  • 仏像:本尊(尊天)は秘仏で、60年に一度の丙寅(ひのえとら)の年に開扉されています。なお千手観音菩薩は新西国三十三箇所の第19番札所になっています。
  • 豆知識:本殿金堂前の金剛床は宇宙のエネルギーである尊天の波動が広がる星曼荼羅(ほしまんだら)を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場になっています。
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【魔王尊(サナート・クマラ)を祀る魔王殿の解説】

  • 概要:魔王殿(拝殿)は本殿金堂から貴船神社(きふねじんじゃ)に抜ける山道の途中にある奇岩の上に建立されています。魔王殿は650万年前に金星から地球に降り立ったと言われる魔王尊(サナート・クマラ)を祀っています。なお魔王殿は太古に護法魔王尊が降臨した磐坐・磐境として崇拝されていました。
  • 歴史:魔王殿は1945年(昭和20年)に焼失し、1950年に(昭和25年)に再建されたと言われています。
  • 様式:魔王殿は宝形造(ほうぎょうづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。魔王殿は方一間です。

【貞明皇后の休息所として造営された寝殿の解説】

  • 概要:寝殿は参道の左側に建立された寝殿造(しんでんづくり)の建物です。寝殿は通常非公開だが、8月に行われている如法写経会の道場として使用されています。
  • 歴史:寝殿は1924年(大正13年)に第123代・大正天皇(たいしょうてんのう)の皇后・貞明皇后が行幸した際、休息所として造営されました。

【重怡が礼拝した阿弥陀如来を祀る転法輪堂の解説】

  • 概要:転法輪堂は重怡(じゅうい)が礼拝していたとも言われる阿弥陀如来(あみだにょらい)座像を安置しています。
  • 歴史:転法輪堂は1969年(昭和44年)に再建されました。ちなみに転法輪堂は平安時代(794年~1185年)に重怡が13年間も籠り、阿弥陀如来前で毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続け、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたことに由来しています。
  • 様式:転法輪堂は宝形造の銅板葺です。転法輪堂は方四間です。
  • 行事:転法輪堂では春の酬徳会(春の彼岸入の日)・秋の酬徳会(秋の彼岸入の日)に信徒が灯明を献じ、先祖の恩徳に感謝の祈りを捧げています。

【高さ約15.7メートルで、護法魔王尊を祀る多宝塔の解説】

  • 概要:多宝塔は本殿金堂に次ぎ、見る価値があるハイライトです。多宝塔はケーブル多宝塔駅近くにあり、ケーブルカーで行くことができます。多宝塔は高さ約15.7メートルで、護法魔王尊像を安置しています。多宝塔はかつて本殿金堂の東に建立されていたが、江戸時代(1603年~1868年)後期に焼失しました。
  • 歴史:多宝塔は1957年(昭和32年)にケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)が開通し、1960年(昭和35年)にケーブル多宝塔駅(山上駅)近くの現在の場所に再建されました。
  • 様式:多宝塔はコンクリート造です。多宝塔は銅板葺です。多宝塔は方二間です。

【湛慶作とも言われる仁王尊を祀る仁王門(山門)の解説】

  • 概要:仁王門(山門)は見逃せません。仁王門は浄域への結界で、参拝者の出入口になっています。仁王門は仏師・運慶(うんけい)の嫡男・湛慶(たんけい)が造仏したとも言われる仁王尊(におうそん)像を安置しています。仁王尊像は再建時に丹波国から移されたと言われています。
  • 歴史:仁王門は1891年(明治24年)に焼失し、1911年(明治44年)に再建されました。ちなみに仁王門は寿永年間(1182年~1184年)に創建され、左の扉が寿永年間(1182年~1184年)頃に造られたと言われています。

【源義経が住した東光坊跡に建立された義経公供養塔の解説】

  • 概要:義経公供養塔は牛若丸(うしわかまる)と言われた源義経(みなもとのよしつね)が住していた東光坊跡に建立されています。
  • 歴史:義経公供養塔は1940年(昭和15年)に建立されました。

【源義経を遮那王尊として祀る義経堂の解説】

  • 概要:義経堂では源義経を間近に感じることができます。義経堂は源義経を遮那王尊として祀っています。義経堂は奥州平泉で非業の死を遂げた源義経の魂が鞍馬山に戻り、安らかに鎮まっていると伝えられています。
  • 歴史:義経堂は源義経が天狗に兵法を習ったとも言われる僧正ガ谷に建立されています。

【最澄作とも言われる不動明王を祀る不動堂の解説】

  • 概要:不動堂は義経堂と同様に僧正ガ谷に建立されています。不動堂は天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が一刀三礼で自ら刻んだと伝えられる不動明王(ふどうみょうおう)を安置しています。
  • 歴史:不動堂は1940年(昭和15年)に建立されました。不動堂は謡曲「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」が牛若丸(源義経)に出会ったと言われる場所に建立されています。
  • 様式:不動堂は宝形造の本瓦葺です。不動堂は方三間です。

【女流歌人・与謝野晶子の書斎だった冬柏亭の解説】

  • 概要:冬柏亭は見逃せません。冬柏亭は女流歌人・与謝野晶子(よさのあきこ)の書斎で、門弟・岩野喜久代から寄進されて東京から移築されました。与謝野晶子を間近に感じられます。岩野喜久代からは与謝野晶子と与謝野鉄幹(よさのてっかん)の遺品(歌稿・諸道具・書籍など)も寄贈されました。冬柏亭の名称は1900年(明治33年)に創刊された「明星」が1927年(昭和2年)に終刊され、1930年(昭和5年)に復刊された「冬柏」に由来しています。
  • 豆知識:与謝野晶子・与謝野鉄幹は住職・信楽香雲の歌の師でした。鞍馬寺には与謝野晶子の歌碑「何となく 君にまたるる ここちして いでし花野の 夕月夜かな」、与謝野鉄幹の歌碑「遮那王が 背比べ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」も建立されています。

【鞍馬寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・鞍馬寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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