経王寺節分大祭-2025年の節分は2月2日(日程時間・・・)

経王寺節分大祭

経王寺節分大祭(日程・時間・・・)を紹介しています。節分大祭は例年節分(立春の前日)に行われています。節分大祭では僧侶が身体健全・家内安全・闘病平癒・認知症封じ・発育増進・心願成就・安産成就・良縁成就などを願う祈祷を行ないます。集った檀信徒・参拝者は題目「南無妙法蓮華経」と唱え、一年の健康などを願います。(詳細下記参照)

【経王寺節分大祭2024 日程時間(要確認)】

経王寺節分大祭2024は2024年(令和6年)2月3日(土曜日)に行われます。過去のタイムテーブルは15:00・19:00からです。(現在確認中・要注意)
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2025

【経王寺節分大祭 アクセス・マップ】

場所・・・京都府宮津市字金屋谷886
最寄り駅・バス停・・・宮津駅(徒歩約13分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都丹後鉄道
路線・時刻表・運賃チェック

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【経王寺節分大祭 歴史・簡単概要】

経王寺節分大祭(せつぶんたいさい)は例年節分(立春の前日)に行われています。
節分大祭では僧侶が身体健全(しんたいけんぜん)・家内安全(かないあんぜん)・闘病平癒(とうびょうへいゆ)・認知症封じ(にんちしょうふうじ)・発育増進(はついくぞうしん)・心願成就(しんがんじょうじゅ)・安産成就(あんざんじょうじゅ)・良縁成就(りょうえんじょうじゅ)などを願う祈祷を行ないます。集った檀信徒・参拝者は題目「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱え、一年の健康などを願います。節分大祭では夕方から提灯(ちょうちん)が灯されます。なお祈祷は事前に申し込むこともできます。(要確認)

  • 節分は元々季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。

【経王寺 歴史・簡単概要】

経王寺(きょうおうじ)は1597年(慶長2年)に日蓮宗(にちれんしゅう)の僧・日依上人が京都府与謝郡本庄村(伊根町)に建立されていた真言宗(しんごんしゅう)の楞厳寺(りょうごんじ)を日蓮宗に改めたのが起源と言われています。「丹後宮津志」によると1602年(慶長7年)に丹後国宮津藩2代藩主・京極高広(きょうごくたかひろ)から帰依を受けて現在の場所に移され、京極高広の娘・了智院殿妙尭日清の香華所となったと伝えられています。本堂裏の墓地には了智院殿妙尭日清の五輪塔が建立されています。ただ京極高広は1622年(元和8年)に丹後国宮津藩2代藩主になっており、元和年間(1615年~1624年)・寛永年間(1624年~1644年)に寺町(金屋谷地区・小川地区)を整備した際に現在の場所に移されたとも言われています。寺町には栄照院・国清寺・桂昌院(江戸幕府5代将軍・徳川綱吉)ゆかりの大頂寺・仏性寺・本妙寺・妙照寺・与謝蕪村ゆかりの見性寺・真照寺・悟真寺などの寺院が建立されています。1843年(天保14年)に現在の本堂が着工され、1845年(弘化2年)10月に再建されました。
経王寺は日蓮宗の寺院です。
*参考・・・経王寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)

【経王寺節分大祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
経王寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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