勝竜寺城公園名月の宴2025年(日程時間・・・)

勝竜寺城公園名月の宴

勝竜寺城公園名月の宴(日程・時間・・・)を紹介しています。名月の宴は毎年秋に行われています。名月の宴では勝竜寺城公園に特設舞台を設置し、琴・詩吟・尺八が演奏されたり、日舞などが舞われたりし、伝統芸能・古典芸能を楽しむことができます。またお茶席も設けられます。地元の小学生が浴衣を着てお茶を振る舞うそうです。(要確認)(詳細下記参照)

【勝竜寺城公園名月の宴2024 日程時間(要確認)】
勝竜寺城公園名月の宴2024は2024年(令和6年)9月7日(土曜日)18:00~20:30に行われます。(雨天中止)(現在確認中・要注意)
*参考・・・長岡京市ホームページ

【勝竜寺城公園名月の宴 アクセス・マップ】
場所・・・京都府長岡京市勝龍寺13-1
最寄り駅・バス停・・・長岡京駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR京都線

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【勝竜寺城公園名月の宴 歴史・簡単概要】
勝竜寺城公園名月の宴(めいげつのうたげ)は毎年秋に行われています。なお名月の宴は長岡京市文化協会が主催して行われています。
名月の宴では勝竜寺城公園に特設舞台を設置し、琴・詩吟・尺八が演奏されたり、日舞などが舞われたりし、伝統芸能・古典芸能を楽しむことができます。またお茶席(野点)も設けられます。(要確認)地元の小学生が浴衣を着てお茶を振る舞うそうです。
長岡京市文化協会は1983年(昭和58年)5月に設立されました。長岡京市文化協会は長岡京市で自主的な運営を行っている最大の文化・芸術活動団体で、名月の宴以外にも市民文化まつり・長岡京展・市民文化教室など活動を行っています。
月見は日本では縄文時代から行われていたとも言われています。その後中秋(仲秋)の名月(十五夜)を鑑賞する風習が中国・唐から伝わり、平安時代に盛んに行われるようになりました。919年(延喜19年)に宇多法皇が旧暦の9月13日に十三夜(じゅうさんや)の月見を催し、966年(康保3年)には宮中の正式な行事になったとも言われています。なお中秋の名月は秋の真ん中である旧暦の8月15日(十五夜・じゅうごや)の満月を言います。ちなみに十三夜(旧暦の9月13日)の月見は日本独自のものだったそうです。

【勝竜寺城公園 歴史・簡単概要】
勝竜寺城公園(しょうりゅうじじょうこうえん)は1992年(平成4年)に勝龍寺城跡を整備した都市公園です。勝龍寺城は南北朝時代の1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府侍所頭人で、細川京兆家の祖・細川頼春(ほそかわよりはる)が室町幕府初代将軍・足利尊氏の命により、南朝方から京都を防御する為に築城したとも言われています。また勝龍寺城は山城国守護・畠山義就(はたけやまよしひろ)が郡代役所として築城したとも言われています。その後1568年(永禄11年)に織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて上洛した際に勝竜寺城を攻撃させて落城させました。1571年(元亀2年)に細川藤孝(ほそかわふじたか・細川幽斎)が織田信長から山城国西岡一帯を与えられて勝竜寺城に入城し、二重の堀を持つ堅固な城郭に改修しました。1578年(天正6年)に明智光秀の三女・明智玉(あけちたま・細川ガラシャ)が16歳で細川藤孝の長男・細川忠興(ほそかわただおき)に嫁いで2年間(新婚時代)を過ごしましたが、1581年(天正9年)に細川藤孝が丹後に入封すると家臣が勝龍寺城が城主になりました。1582年(天正10年)に明智光秀が織田信長を急襲した本能寺の変によって明智光秀の属城になり、明智光秀が山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れた際に勝竜寺城に立ち寄った後に坂本城に向かいました。その後勝竜寺城は淀古城の修築に利用されて一時荒廃し、江戸時代の1633年(寛永10年)に山城長岡藩主・永井直清(ながいなおきよ)が荒廃していた勝竜寺城を修築したが、1649年(慶安2年)に永井直清が摂津高槻藩に転封すると勝竜寺城は廃城になりました。 勝竜寺城公園には模擬櫓などがあります。なお勝竜寺城公園は日本の歴史公園100選に選ばれています。
*参考・・・勝竜寺城公園(アクセス・歴史・・・)

【勝竜寺城公園名月の宴 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
勝竜寺城公園(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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