祇園祭宮本組円融天皇・後村上陵参拝

祇園祭宮本組円融天皇・後村上陵参拝

祇園祭宮本組円融天皇・後村上陵参拝(日程・時間・・・)を紹介しています。宮本組円融天皇・後村上陵参拝は毎年7月上旬頃に行われています。宮本組円融天皇・後村上陵参拝では祇園祭で行われる7月17日の神幸祭・7月24日の還幸祭で重要な神事を担う宮本組が円融天皇・後村上陵が参拝し、祇園祭の無事を祈願します。(詳細下記参照)

【祇園祭宮本組円融天皇・後村上陵参拝 日程時間(要確認)】
祇園祭函谷鉾町龍源寺墓参は毎年7月上旬頃に行われます。
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【祇園祭宮本組円融天皇・後村上陵参拝 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市右京区宇多野福王子町
最寄り駅・バス停・・・福王子(徒歩約8分)

JRバスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅・四条大宮から福王子神社は高雄京北線 栂ノ尾・周山行き
西日本JRバス・アクセスダイヤ

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【祇園祭宮本組円融天皇・後村上陵参拝 歴史・簡単概要】
祇園祭宮本組円融天皇・後村上陵参拝(みやもとぐみえんゆうてんのう・のちのむらかみのみささぎさんぱい)は毎年7月上旬頃に行われています。宮本組円融天皇・後村上陵参拝は平安時代中期の974年(天延2年)に第64代・円融天皇が八坂神社の神輿を鴨川を渡って平安京を渡御するように勅命したことに由来しています。この時の神輿渡御が御旅所(大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ))への神輿渡御の始まりとも言われています。ちなみに大政所御旅所は974年(天延2年)に東洞院高辻に住む秦助正(はたのすけまさ)が「汝の家を影向の地とせん 速やかに朝廷に奏上せよ」との八坂大神からの神託を夢の中で受け、第64代・円融天皇も同じ夢を見ていたことから秦助正の自宅が大政所御旅所になり、神殿が造営されたとも言われています。
宮本組円融天皇・後村上陵参拝では祇園祭で行われる7月17日の神幸祭(しんこうさい)・7月24日の還幸祭(かんこうさい)で重要な神事を担う宮本組が円融天皇・後村上陵が参拝し、祇園祭の無事を祈願します。
宮本組は明治時代初頭に結成された募金組織・清々講社(せいせいこうしゃ)の第1号に指定された筆頭格の氏子組織です。宮本組は八坂神社のお膝元で、旧学区・弥栄学区の住民・店主などの氏子などで構成されています。宮本組は7月17日の神幸祭・7月24日の還幸祭の際に錦の袋に入れられている第64代・円融天皇の勅板(ちょくばん)や矛・楯・弓・矢・剣・琴などの神宝奉持列を整えて巡行します。ちなみに勅板は先端が山の形をした縦約183.4センチ・幅約20.7センチ・厚さ約1センチで、上部に「感神院政所(かんしんいんまんどころ)」、その下に3行・109字が墨書され、裏面中央に「天延二年(974年)六月七日」と記されているそうです。また宮本組は7月10日の神用水清祓式・神輿洗や7月28日の神用水清祓式・神輿洗など11日間・26行事に奉仕しているそうです。なお宮本組は平安時代以来、八坂神社の社家に仕えて神事・社務の補助や雑役を行った下級神職・寄人である神人(じにん・社人(しゃにん))にルーツがあるもと言われています。
大政所御旅所は1536年(天文5年)に焼失し、1591(天正19年)に関白・豊臣秀吉の命により、少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)と統合し、現在の八坂神社御旅所に移されました。
祇園祭神幸祭祇園祭還幸祭

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に京都をはじめ全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が禁苑(宮中の庭)である神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王(素戔嗚尊)を祀り、更に牛頭天王(素戔嗚尊)を主祭神とする八坂神社(祇園社)に3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。その後970年(天禄元年)から毎年旧暦6月14日に行われるようになりました。
祇園祭歴史

【円融天皇・後村上陵 歴史・簡単概要】
後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)は第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の陵墓(円丘)です。円融天皇は平安時代中期の959年(天徳3年)4月12日(旧暦3月2日)に第62代・村上天皇(むらかみてんのう)を父、右大臣・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の娘・藤原安子(ふじわらのあんし)を母とし、村上天皇の第5皇子・守平親王(もりひらしんのう)として生まれ、964年(応和4年)に母・藤原安子がなくなるとその妹・藤原登子(ふじわらのとうし)に育てられました。967年(康保4年)7月5日(旧暦5月25日)に兄・憲平親王(のりひらしんのう)が第63代・冷泉天皇(れいぜいてんのう)として即位すると立太子され、969年(安和2年)9月27日(旧暦8月13日)に冷泉天皇が譲位すると同日に守平親王が数え年11歳で第64代・円融天皇として即位しました。即位後に藤原氏の勢力争いに翻弄されるようになり、984年(永観2年)9月24日(旧暦8月27日)に第65代・花山天皇(かざんてんのう)に譲位し、985年(寛和元年)に落飾して金剛法(こんごうぼう)と号し、仁和寺(にんなじ)の一院である御願寺(ごがんじ)・円融寺(えんゆうじ・円融院)に住して風流文雅の生活を送り、京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)・滋賀県大津市の石山寺(いしやまでら)・南都(奈良)の諸寺などに御幸し、991年(正暦2年)3月1日(旧暦2月12日)に崩御しました。死後に円融寺の北原で火葬され、背後の朱山(しゅやま)の火葬塚に納骨されたと言われています。なお1862年(文久2年)の文久の修陵で陵(みささぎ)に決定されなかったが、1889年(明治22年)に現在地に陵が決定されました。
*参考・・・円融天皇・後村上陵(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ円融天皇・後村上陵(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【祇園祭宮本組円融天皇・後村上陵参拝 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
円融天皇・後村上陵(アクセス・見どころ・・・)情報
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