以仁王の御陵(アクセス・マップ・見どころ・・・)

以仁王の御陵

以仁王の御陵(アクセス・見どころ・拝観料金・・・)情報を紹介しています。以仁王の御陵に隣接する高倉神社では以仁王を祀っています。高倉神社は起源が明確ではなく、この地はかつて奈良・興福寺領で、春日神社が建立されて天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀られていたと言われています。

【以仁王の御陵 アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市山城町綺田神ノ木
最寄り駅・バス停・・・神ノ木(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR奈良線木津駅・上狛駅・棚倉駅からコミュニティバス・山城線

*JR奈良線玉水駅(徒歩約30分)
路線・時刻表・運賃チェック

【以仁王の御陵 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【以仁王の御陵 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【以仁王の御陵 歴史・簡単概要】
以仁王の御陵(もちひとおうのごりょう)は京都府木津川市山城町綺田神ノ木にあります。以仁王の御陵は宮内庁が管理しています。以仁王は1151年(仁平元年)に第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)と権大納言・藤原季成(ふじわらのすえなり)の娘・成子の子(第3皇子)として生まれました。第73代・堀河天皇(ほりかわてんのう)の皇子で、天台座主(てんだいざす)・最雲法親王(さいうんほっしんのう)の弟子になったが、最雲法親王が亡くなると還俗して元服しました。以仁王は優秀で、母方の家柄もよかったことから皇位継承の有力候補だったが、後白河天皇の女御で、第80代・高倉天皇(たかくらてんのう)の生母・建春門院(けんしゅんもんいん・平滋子(たいらのしげこ))に妨害され、親王宣下を得られずに王にとどまったと言われています。1179年(治承3年)に平氏打倒を目指した父・後白河法皇が幽閉され、以仁王も城興寺(じょうこうじ)領を没収されました。1180年(治承4年)に源頼政(みなもとのよりまさ)の勧めにより、平氏打倒の令旨(以仁王の令旨)を全国の源氏に発して挙兵を促しました。以仁王は最勝親王(さいしょうしんのう)と称し、自らも挙兵を試みたが、平氏方に露見し、皇族籍が剥奪されて土佐に配流が決まりました。しかし滋賀・園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))に脱出し、その後源頼政とともに南都(奈良)の仏教勢力に頼ることに決めて奈良に向かいました。源頼政が宇治川の戦いで時間を稼ぎ、以仁王は奈良・興福寺(こうふくじ)に向かったが、南山城の加幡河原で平氏方に追い付かれて討たれ、1180年(治承4年)5月26日に亡くなりました。なお以仁王は宇治川の戦いで流れ矢に当たって亡くなったとも、光明山寺にあった鳥居前で流れ矢に当たって亡くなったとも言われています。(諸説あり)
*参考・・・以仁王の御陵(アクセス・歴史・見どころ・・・)

【以仁王の御陵 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
以仁王の御陵の見どころは以仁王の御陵そのものです。また隣接し、以仁王を祀る高倉神社も見どころです。

【以仁王の御陵 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0774-73-8191(木津川市観光協会)

【以仁王の御陵 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】

【以仁王の御陵 おすすめ散策ルート】
以仁王の御陵からのおすすめ散策ルートは東側に位置する出世地蔵を散策することです。15分ほど散策すると出世地蔵に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお以仁王の御陵周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。

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