若一神社節分祭-2025年の節分は2月2日(日程時間・・・)
若一神社節分祭
若一神社節分祭(日程・時間・・・)を紹介しています。節分祭は例年節分(立春の前日)に行われています。節分祭では祝詞奏上などの神事が行われ、その後鳴動式が行なわれます。鳴動式では釜の音により、季節の変わり目に生じやすい邪気を祓います。若一神社では節分開運祈祷札・開運福豆を授与しています。(要確認)(詳細下記参照)
【若一神社節分祭2024 日程時間(要確認)】
若一神社節分祭2024は2024年(令和6年)2月3日(土曜日)15:00から行われます。(現在確認中・要注意)
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2025
【若一神社節分祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
最寄り駅・バス停・・・西大路八条(徒歩約1分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条烏丸から若一神社は13系統、特13系統、43系統
*四条大宮からは13系統、特13系統
路線・時刻表・運賃チェック
【若一神社節分祭 歴史・簡単概要】
若一神社節分祭(せつぶんさい)は例年節分(立春の前日)に行われています。節分祭では厄除け・招福を祈願します。
節分祭では祝詞奏上(のりとそうじょう)などの神事が行われ、その後鳴動式が行なわれます。鳴動式では釜の音により、季節の変わり目に生じやすい邪気を祓います。節分を境にして、暦の上では春になり、季節の変わり目には鬼などが集まり、疫病や災をもたらすと考えられています。若一神社では節分開運祈祷札・開運福豆を授与しています。(要確認)若一神社では西大路七福社ご利益巡りもおすすめです。
西大路七福社ご利益巡りでは西大路通沿い南北約7キロに祀られている7社に巡り、御朱印を集めると干支(えと)の置物が進呈されます。(要確認)西大路七福社ご利益巡りではわら天神宮(安産・子授け・縁結び)・平野神社(開運・良縁・心願成就)・熊野神社衣笠分社(縁結び・安産・病気平癒)・大将軍八神社(方除・厄除)・院春日神社(病気平癒・厄除・旅行安全)・若一神社(開運・出世)・吉祥院天満宮(知恵と能力開発)を巡ります。なお西大路七福社ご利益巡りは1983年(昭和58年)から行われています。
- 節分は元々季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
- 西大路通は北側の金閣寺(きんかくじ)前から南側の十条通(じゅうじょうどおり)までを南北に結んでいます。西大路通は京都市西域を南北に伸び、東大路と対になっている大通りです。なお西大路通はかつて幅約12メートルの野寺小路でした。
【若一神社 歴史・簡単概要】
若一神社(にゃくいちじんじゃ)は平安時代後期に平清盛(たいらのきよもり)の別邸・西八条殿(にしはちじょうどの)があった場所です。若一神社は1166年(仁安元年)に平清盛が熊野詣(くまのもうで)の際、「土中に隠れている 御神体を探せ」とのお告げがあり、若一王子(熊野権現の第一王子)の御神体を発見し、別邸内に社を建立して祀ったのが起源です。なお翌1167年(仁安2年)に平清盛は太政大臣(だじょうだいじん)に任ぜられたことから開運出世のご利益があると言われています。
*参考・・・若一神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【若一神社節分祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
若一神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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