小倉山(おぐらやま)・亀山(かめやま)と嵐山
小倉山・亀山と嵐山
嵐山は大堰川(桂川)の南岸に位置し、対岸の北岸に位置する小倉山と相対しています。小倉山は雄蔵山・小椋山・隠椋山とも記される標高約296メートルの山です。小倉山は山体が古生層からなり、南東に長くのびた尾根は亀山と言われています。
【嵐山 歴史・簡単概要】
嵐山は一級河川・桂川(大堰川)に架けられて渡月橋の西側、京都市西京区に位置する標高約382メートルの山です。嵐山は古くから景勝地で、平安時代(794年~1185年)以降に紅葉名所として知られるようになり、皇族・貴族らが訪れ、付近に離宮・山荘などが営まれるようになりました。また嵐山では後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)が奈良・吉野山から桜の木を移植すると桜名所にもなりました。嵐山は「日本さくら名所100選」・「日本の紅葉の名所100選」に選ばれています。また嵐山は国の史跡・国の名勝にも指定されています。なお嵐山・嵯峨野には桂川(大堰川)が流れて渡月橋が架けられ、世界遺産である天龍寺・二尊院・常寂光寺・化野念仏寺・虚空蔵法輪寺などの寺社が点在し、竹林の道(竹林の小径)などがあり、京都随一の観光地になっています。
嵐山桜見ごろ・嵐山紅葉見ごろ
【小倉山(おぐらやま)・亀山(かめやま)】
嵐山は大堰川(おおいがわ(桂川(かつらがわ)・保津川(ほづがわ)))の南岸に位置し、対岸の北岸に位置する小倉山(おぐらやま)と相対しています。小倉山は雄蔵山・小椋山・隠椋山とも記される標高約296メートルの山です。ちなみに小倉山は嵐山とともにかつて小倉山と言われていました。小倉山は山体が古生層(こせいそう)からなり、南東に長くのびた標高70~80メートルの尾根は亀山(かめやま・亀の尾山(かめのおやま))と言われています。小倉山は嵯峨野(さがの)の西端に位置し、西側と南側に保津川によって形成された保津峡(ほづきょう)、東側に嵯峨野、北東側に古くから葬送の地とされた化野(あだしの)があります。小倉山は嵐山とともに古くから紅葉名所とされ、和歌の歌枕(うたまくら)にもなっており、貞信公(藤原忠平(ふじわらのただひら))は「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」と読みました。また小倉山・嵐山一帯には皇族・貴族らが離宮・山荘を営みました。歌人・藤原定家(ふじわらのていか)も小倉山荘(時雨亭(しぐれてい))を営み、鎌倉時代(1185年~1333年)前期の1235年(嘉禎元年)に宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)から嵯峨野に建てた小倉山荘の障子色紙に歌人の和歌を1首ずつ揮毫して欲しいと要望され、第38代・天智天皇(てんじてんのう)から第84代・順德天皇(じゅんとくてんのう)までの100人の歌人から和歌を1首ずつ(1歌人・1首) 選び、小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)と言われています。小倉山荘(時雨亭)は厭離庵(えんりあん)・常寂光寺(じょうじゃっこうじ)・二尊院(にそんいん)付近にあったと言われています。藤原定家は小倉山を「忍ばれむ 物ともなしに 小倉山 軒端の松ぞ なれてひさしき 」と詠みました。小倉山では北東麓に愛宕神社(あたごじんじゃ)の一の鳥居・化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)、東麓に常寂光寺・二尊院・祇王寺(ぎおおうじ)・滝口寺(たきぐちでら)・清涼寺(せいりょうじ)・落柿舎(らくししゃ)・野宮神社(ののみやじんじゃ)・天龍寺(てんりゅうじ)・竹林の道(竹林の小径)などの観光名所があります。なお小倉山南端付近には亀山公園(嵐山公園亀岡地区)があり、展望台からは保津川(大堰川)が一望できます。
【亀山公園 嵐山】
亀山公園は嵐山公園亀岡地区のことです。嵐山公園は面積約10.6ヘクタールで、明治時代(1868年~1912年)末期に桂川(保津川)左岸に整備された亀山地区、桂川中州に整備された中之島地区、昭和(1926年~1989年)に桂川左岸に整備された臨川寺地区の3地区から構成されています。亀山地区は渡月橋よりも上流に位置し、小倉山の南東部にある丘陵地で、広場・展望台・児童広場・休憩所・園路などが整備されています。亀山公園は赤松を中心に桜・楓(カエデ)などが分布し、木の下にヤマツツジなどが群生しています。亀山公園には東側に後嵯峨天皇など3天皇の火葬塚があります。
【小倉山・亀山と嵐山】
*京都には多くの紅葉名所があり、その紅葉見ごろを下記リンクから確認できます。
京都紅葉見ごろ2024
*京都には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
京都桜見ごろ2025