金閣寺不動堂大護摩供奉修2024年11月28日(日程時間・・・)
金閣寺不動堂大護摩供奉修
金閣寺不動堂大護摩供奉修(日程・時間・・・)を紹介しています。不動堂大護摩供奉修は例年11月28日に行われています。大護摩供奉修は不動堂前に設けられた斎場で行われます。大護摩供奉修では不動堂前での読経終了後、信者などの願いが込められた護摩木(ごまぎ)を護摩壇(ごまだん)で焚き上げ、祈願成就を願います。(詳細下記参照)
【金閣寺不動堂大護摩供奉修2024 日程時間(要確認)】
金閣寺不動堂大護摩供奉修2024は2024年(令和6年)11月28日(木曜日)13:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・金閣寺ホームページ
【金閣寺不動堂大護摩供奉修 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区金閣寺町1
最寄り駅・バス停・・・金閣寺前(徒歩すぐ)・金閣寺道(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から金閣寺は101系統(B2乗り場)道、205系統(B3乗り場)道
*四条河原町からは12系統前・道、59系統前道、205系統道
*四条烏丸からは12系統前、101系統道
*河原町丸太町からは59系統前道、204系統道、205系統道
金閣寺アクセス(バス・地下鉄・私鉄・・・)
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約20分)
金閣寺アクセス(バス・地下鉄・私鉄・・・)
【金閣寺不動堂大護摩供奉修 歴史・簡単概要】
金閣寺不動堂大護摩供奉修(ふどうどうおおごまくぼうしゅう)は不動堂前に設けられた斎場で行われます。
不動堂大護摩供奉修では先ず不動堂前で山伏などが般若心経を唱えます。読経終了後、不動堂前の斎場に移動します。その後邪気が入らないようにしたり、邪気を祓ったりする為、東西南北などに矢を放つ法弓の儀(ほうきゅうのぎ)・剣を素早く振る法剣の儀(ほうけんのぎ)などが行われた後、信者などの願いが込められた護摩木(ごまぎ)を護摩壇(ごまだん)で焚き上げ、祈願成就を願います。
不動堂は天正年間(1573年~1590年)に豊臣政権の五大老の一人だった宇喜多秀家(うきたひでいえ)が再建したと言われ、金閣寺山内の最古の建物とも言われています。不動堂に安置されている本尊(秘仏)・石不動明王は弘法大師・空海作とも言われています。石不動明王には体の悪い部分と同じ場所をなでると病気が平癒するご利益があると言われています。特に眼病に霊験があると言われています。ちなみに不動堂では年2回、8月16日(五山送り火)と2月3日(節分の日)にだけ開扉法要が行われます。
大護摩供(大柴燈護摩供・だいさいとうごまく)の起源は真言宗の開祖である弘法大師・空海の孫弟子である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)とも言われています。
●金閣寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
金閣寺歴史(室町幕府3代将軍・足利義満)
●金閣寺の見どころ(金閣・不動堂など)を紹介しています。
金閣寺見どころ(金閣・不動堂など)
【金閣寺 歴史・簡単概要】
金閣寺(きんかくじ)・鹿苑寺(ろくおんじ)は1224年(元仁元年)に公卿・西園寺公経(さいおんじきんつね)が山荘・北山第(きたやまてい)を造営し、氏寺・西園寺を創建した場所です。その後鎌倉幕府の滅亡や南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の暗殺未遂により、西園寺氏の所領などは没収されて荒廃しました。1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満が河内の領地との交換により、山荘・北山第を譲り受けて御所・北山殿(きたやまどの)を造営しました。1394年(応永元年)に義満は将軍職を嫡男で、4代将軍・足利義持に譲っていたが、その後も北山殿で政務を行いました。しかし1408年(応永15年)の義満没後の1409年(応永16年)に義持が北山殿の一部を破却し、1419年(応永26年)に義満の妻・日野康子(北山院)が亡くなると舎利殿(金閣)以外の寝殿などは解体され、南禅寺・建仁寺・等持寺などに移されたと言われています。1420年(応永27年)に義満を開基、夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山として、舎利殿(金閣)を中心に禅寺・北山鹿苑寺に改められました。鹿苑寺の名称は義満の法号「鹿苑院殿」に由来しています。
金閣寺は臨済宗相国寺派大本山・相国寺の境外塔頭です。
*参考・・・金閣寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【金閣寺不動堂大護摩供奉修 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
金閣寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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