折上稲荷神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

折上稲荷神社の歴史を時代別年表にまとめ
折上稲荷神社の歴史を簡単にまとめています。折上稲荷神社は境内に稲荷塚があり、稲荷大神の前身・田の神が祀られていた聖地です。折上稲荷神社は711年(和銅4年)に稲荷大神が西野山の三の峯に降臨した際、稲荷塚にも降臨したのが起源と言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【稲荷塚】
●折上稲荷神社は境内に約1,500年前の稲荷塚(京都市史跡)があり、稲荷大神(いなりのおおかみ・稲荷神)の前身とされる祖先神・田の神が祀られていた聖地です。なお境内にある稲荷塚古墳は古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)後期の550年頃に造られた円墳で、中臣十三塚古墳群に数えられています。中臣十三塚古墳群は栗栖野丘陵一帯にある中臣遺跡内にあり、かつて13基の円墳が残されていたが、住宅開発で多くが失われ、墳丘の形を残しているのが折上稲荷神社の境内にある稲荷塚古墳と藤原高藤(ふじわらのたかふじ)の妻・宮道列子(宮道朝臣列子墓)の墓とされる宮道古墳(円墳)だけです。「中臣」の名称は中臣鎌足(なかとみのかまたり・藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の陶原館があったとも言われることに由来しています。
【折上稲荷神社の起源・始まり】
●折上稲荷神社は711年(和銅4年)に稲荷大神が西野山(稲荷山(いなりやま))の三の峯に降臨した際、稲荷塚にも降臨したのが起源と言われています。折上稲荷神社は伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)とともに最古の稲荷大神と言われています。折上稲荷神社と伏見稲荷大社は聖地と聖地が一直線上で結ばれるレイライン(ley line)で結ばれ、伏見稲荷大社の奥の宮(おくのみや)とも言われ、より強いご利益が得られるとも言われています。なお伏見稲荷大社は711年(和銅4年)2月の初午(はつうま)の日に稲荷大神は初めて稲荷山に鎮座し、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命により、稲荷山の三つの峯の平らな場所に稲荷大神を祀ったのが起源と言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
●延喜年間(901年~923年)に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)が山科に行幸した際、伏見稲荷大社の分霊を遷したとも言われています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1846年(弘化3年)に第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)が父である第120代・仁孝天皇(にんこうてんのう)の崩御に伴って天皇に即位した際、側に仕えていた女官達の多くが病気になり、祈祷を命じられた折上稲荷神社で祈祷すると女官達が奇跡的に回復したことから女官達の間で「折上稲荷様の御利益は折り紙付き」と言われるようになりました。孝明天皇は女官達が元気では働けるようにと願いを込め、長命箸(ちょうめいばし)を奉納しました。その後折上稲荷神社は「働く女性の守り神」として篤く信仰されることとなりました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●明治から昭和に祇園甲部の芸妓だったモルガンお雪が篤く信仰しました。モルガンお雪は1881年(明治14年)に刀剣商・平助の娘として生まれたと言われています。姉が祇園でお茶屋兼置屋を経営し、その縁で芸妓になりました。アメリカ人の富豪であるジョン・ピアポント・モルガン(J.P.モルガン)の甥であるジョージ・モルガンの妻になり、「日本のシンデレラ」と言われたが、その後夫が亡くなり、フランスに渡って生活しました。第二次世界大戦の勃発に伴って日本に帰国し、1963年(昭和38年)に亡くなりました。
【稲荷大神】
稲荷大神(稲荷神)は稲を象徴する穀霊神・農耕神で、稲荷大明神・お稲荷さんなどとも言われています。稲荷大神は五穀を司る女神・ウカノミタマと同一視され、伏見稲荷大社などの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神として祀っています。ウカノミタマは日本最古の歴史書「古事記」や日本最古の正史「日本書紀」に宇迦之御魂神・倉稲魂命・豊宇気毘売命・保食神・大宣都比売神・若宇迦売神・御饌津神などと記されています。ウカノミタマは御饌津神とも言われ、古来「けつ」と言われていたキツネ(狐)の文字が当てられ、「三狐神(御狐神)」と表されたことからキツネがお使い(眷族・神使)になったとも言われています。なお神仏習合では仏教の女神・荼枳尼天と習合し、寺院で祀られることもあります。
【折上稲荷神社の歴史 備考】
*参考・・・折上稲荷神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ














