音羽の滝|ご利益・飲み方・おまじないなどを解説|清水寺見所

音羽の滝完全ガイド|ご利益・飲み方・おまじないなどを解説
音羽の滝はご利益・効能で有名です。ご利益・効能には諸願成就や学問成就・恋愛成就・延命長寿があると言われています。飲み方は奥の祠に祀られる不動明王にお参し、3本の筧から1本を選び、不動明王に願を念じながら一口飲みます。なお音羽の滝は寺号「清水寺」の由来になっています。(詳細下記参照)
★込み合っている場合、素早く行動し、後の方に譲りましょう。三条の水には諸願成就のご利益があります。
【概要・概略|音羽の滝】
音羽の滝(音羽の瀧)は778年(宝亀9年)に清水寺の元祖とされる行叡居士(ぎょうえいこじ)と清水寺の開山とされる延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)が出会った場所で、土佐光信(とさみつのぶ)筆の「清水寺縁起絵巻」に描かれています。音羽の滝は奥の院(重要文化財)の真下で、本堂(国宝)の一部である清水の舞台から見下ろせる場所にあります。拝観順路の後半にあります。音羽の滝は清水寺が建立されている音羽山(おとわさん)の山中から湧き出し、778年(宝亀9年)の清水寺創建から1,200年以上、一度も涸れたことがなく、1年を通してほぼ一定量の水がこんこんと湧き続けています。音羽の滝は硬度が低い軟水で、1年を通して水温が11~12度です。
●音羽の滝の清水はかつて菩薩(ぼさつ)さまの「功徳水(くどくすい)・八功徳水」、心身を清める「黄金水(おうごんすい)」、長寿の「延命水(えんめいすい)」などと言われました。
●音羽山は京都市山科区と滋賀県大津市の境界に位置する標高約242.5メートルの山です。清水寺の山号は「音羽山」と言います。
【寺号・名前|音羽の滝】
音羽の滝は寺号(名前)「清水寺」の由来になっています。音羽の滝から湧き出す霊水が清らかな清水(しみず)だったことに由来しています。清水寺はかつて「きよみずでら」ではなく、「せいすいじ」とも言われていました。
●清水寺は810年(弘仁元年)に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)の勅許により、公認の寺院になり、寺号「北観音寺(きたかんのんじ)」を賜ったと言われています。延鎮上人・賢心が修行していた子島寺(奈良県高市郡高取町)は「南観音寺」と言われていました。
●音羽の滝は京都盆地の地下水が地圧により、音羽山の岩盤から湧き出したものです。音羽の滝は不純物が少ない澄んだ水で、有機物が限りなくゼロに近いそうです。音羽の滝にはその清さからの為だろうか、「土用の丑の日に汲んだ霊水は腐らない」という伝説があります。なお音羽の滝の水は祈祷され、「音羽霊水」として境内の売店で販売されています。
【不動明王|音羽の滝】
音羽の滝の祠(ほこら)には本尊・不動明王(ふどうみょうおう)が祀られています。また祠には行叡居士も祀られています。毎月28日は不動明王の縁日とされ、音羽の滝では午前6時からロウソクをお供えする燈明(とうみょう)、午前7時から山内の僧侶による読経が行われています。
●不動明王は真言密教の教主・大日如来(だいにちにょらい)の化身とも言われています。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できない為に忿怒相をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索を持ち、全ての悪と煩悩を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。不動明王はサンスクリット語のアカラ(阿遮羅) を漢訳したものです。
【ご利益・効果|音羽の滝】
音羽の滝は高さ約4メートルの3本の筧(かけい)から霊水が流れ落ち、3本(三条)の流れに諸願成就のご利益があると言われています。また滝に向かって左の筧に学問成就、中央の筧に恋愛成就、右の筧に延命長寿のご利益があると言われています。
●音羽の滝の飲み方は先ず奥の祠に祀られている不動明王に静かに手を合わせてお参します。その後3本の筧から1本を選び、不動明王を向かって願を念じながら一口だけ飲みます。何本も飲むと願いが叶わなくなったり、何口も飲むとご利益が何口分の1になったりすると言われています。水を吐き出さず、柄杓(ひしゃく)を返す際には仏教的な意味合いも込めて3回丁寧に洗い流します。柄杓には紫外線滅菌できる装置が取り付けられています。
●延鎮上人・賢心が音羽山に草庵を結んだ際、音羽の滝で長年滝行を行い、200歳という行叡居士に出会ったことが「清水寺縁起」に記されています。音羽の滝には古来から延命長寿のご利益があったのかもしれません。
●音羽の滝には裁縫中に縫い針がなくなった際、「清水や 音羽の滝は 絶ゆるとも 失せたる針の 出ぬことは無し」と三回おまじないを唱えると必ず見付かるとも言われています。
【修行・滝行|音羽の滝】
音羽の滝は行叡居士や延鎮上人・賢心以来、滝行の行場でした。行叡居士は音羽の滝のほとりで草庵を結んで、長年修行したと言われています。音羽の滝には修験道(しゅげんどう)で滝行を行った際に足場になった石が3か所残されています。滝行は一般の信者にも広まり、「お瀧」と言われました。現在も心身を清める水垢離(みずごり)が行われているが、清水寺では水垢離を一般開放していないそうです。
●行叡居士は飛鳥時代から奈良時代の伝承上の僧侶です。音羽山の瀧(音羽の滝)のほとりに草庵を結んで住し、200年間修行したとも言われています。778年(宝亀9年)に延鎮上人・賢心と出会うと観音力を込めたという霊木を授け、千手観音像を彫刻して観音霊地を守ってくれと言い残し、東国に姿を消したと言われています。
●延鎮上人・賢心は平安時代前期の法相宗の僧侶です。子島寺(子嶋寺)の報恩法師に学び、法相宗の大本山である興福寺の僧侶になり、報恩法師の死後に子島寺を継ぎました。その後778年(宝亀9年)に京都に移って音羽山に庵を結んで清水寺を創建し、821年(弘仁12年)に亡くなったとも言われています。
【龍の伝承|音羽の滝】
清水寺の鎮守社だった地主神社(じしゅじんじゃ)の拝殿(重要文化財)の鏡天井に描かれた雲龍図「丸竜」は夜ごと抜け出し、音羽の滝の水を飲むことから目に釘を打たれたとも言われ、清水寺七不思議に数えられています。龍は清水寺が本尊とする観音菩薩の化身とされ、清水寺には古くから「観音の化身である龍が音羽の滝に夜ごと飛来して水を飲む」という言い伝えがあります。なお音羽の滝には龍以外にも伝承が残されています。音羽の滝の水源である牛尾山で大蛇退治が行われた際、真っ赤に染まったと言われています。
●地主神社の拝殿は1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が再建しました。雲龍図「丸竜」は絵師・狩野永徳(かのうえいとく)の次男である絵師・狩野元信(かのうもとのぶ)が描きました。雲龍図「丸竜」はどの方角から見ても自分を睨んでいるように見えるところから「八方にらみの竜」とも言われています。
●清水寺では例年3月15日・4月3日・9月15日に青龍会(せいりゅうえ)が行われています。青龍会は2000年(平成12年)に清水寺の本尊(秘仏)・十一面千手観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんぜおんぼさつ)立像がご開帳された際、観音の化身である青龍の誕生と開眼法要が行われたのが起源です。
【はてなの茶碗|音羽の滝】
はてなの茶碗(茶金)は上方落語の古典の演目です。三代目・桂米朝が子供の頃にラジオで流れていた二代目・桂三木助の口演をもとに戦後に復活させました。はてなの茶碗には音羽の滝の畔にある茶店・滝の家が登場します。はてなの茶碗は大阪出身の油屋の男が茶店・滝の家で休憩していると京都で有名な茶道具屋・金兵衛(茶金)が茶屋の茶碗のひねくり回しながら「はてな?」と首をかしげたことから話が展開していきます。
●音羽の滝近くの茶店・滝の家は100年以上の歴史があります。
【音羽の滝|清水寺見所 備考】
音羽の滝は日本語の読み方が「おとわのたき」、英語で「Otowa Waterfall」と表され、日本人観光客や修学旅行生、そして外国人観光客もご利益を授かる清水寺最大のパワースポットです。
*参考・・・清水寺(見どころ・歴史・音羽の滝・・・)ホームページ

















