臨川寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

臨川寺の歴史を時代別年表にまとめ
臨川寺の歴史を簡単にまとめています。臨川寺は1335年(建武2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が第2皇子・世良親王の菩提を弔う為、夢窓国師・夢窓疎石を開山として創建しました。父・後醍醐天皇が別殿・川端殿を寺院に改めました。(時代別年表・重要人物下記参照)
【宝幢寺(宝幢禅寺)】
●天龍寺が建立されている場所には承和年間(834年~847年)に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)の后・檀林皇后(だんりんこうごう・橘嘉智子(たちばなのかちこ))が創建した日本初の禅寺・壇林寺(だんりんじ)がありました。その後壇林寺は荒廃し、第60代・醍醐天皇(だんごてんのう)の皇子・前中書王兼明親王(さきのちゅうしょおうかねあきらしんのう)の亀山山荘、後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))の仙洞御所(せんとうごしょ)、亀山上皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))の離宮・亀山殿(かめやまどの)が造営されました。
●臨川寺が建立されている場所には亀山上皇の離宮・亀山殿の別殿・川端殿が造営されていました。別殿・川端殿は亀山法皇の皇女・憙子内親王(きしないしんのう・昭慶門院)の御所になり、憙子内親王が亡くなると憙子内親王が養子として養育していた南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいがてんのう)が第2皇子・世良親王(よよししんのう・ときながしんのう)に授けられました。世良親王は北畠親房(きたばたけちかふさ)や夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)らから学びました。
【臨川寺の起源・始まり】
●臨川寺は1335年(建武2年)に後醍醐天皇が第2皇子・世良親王の菩提を弔う為、夢窓国師・夢窓疎石を開山として創建しました。世良親王は南禅寺(なんぜんじ)の住職(住持)である仏徳禅師・元翁本元(げんのうほんげん)を開山に別殿・川端殿を禅寺を改めようとしたが、1330年(元徳2年)に若干21歳で亡くなり、1332年(元弘2年・正慶元年)に仏徳禅師・元翁本元も亡くなった為、父・後醍醐天皇が別殿・川端殿を寺院に改めました。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
●1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が南朝初代で、第96代・後醍醐天皇を弔う為、夢窓国師・夢窓疎石を開山に離宮・亀山殿を改め、天龍寺を創建しました。天龍寺創建後に夢窓国師・夢窓疎石は臨川寺に隠棲し、1351年(観応2年・正平6年)に臨川寺で亡くなりました。遺骸は臨川寺の開山堂下に葬られ、その右側に世良親王が葬られています。
●1353年(正平8年・文和2年)に足利尊氏が准十刹の官刹に列しました。
●1377年(天授3年・永和3年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が室町幕府管領・細川頼之(ほそかわよりゆき)の働き掛けにより、京都五山に列しました。
●1379年(康暦元年・永和5年)に康暦の政変によって細川頼之が失脚し、十刹に格下げされました。
●1386年(元中3年・至徳3年)に京都十刹に列せられました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
●1467年(応仁元年)に応仁の乱(おうにんのらん)が起こり、兵火によって焼失し、衰微したと言われています。
●室町時代後期に伽藍が再建されたとも言われています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1622年(元和8年)に開山堂(京都市指定有形文化財)が建立されました。
●1619年(元和5年)に客殿(京都市指定有形文化財)が建立されました。
●1647年(正保4年)に中門(京都市指定有形文化財)が建立されました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●明治時代に建物が全て失われ、現在の建物は名前を継いだ三会院のものと言われています。
●1921年(大正10年)に三会院(本堂)が本瓦葺きに葺き替えられました。
●1956年(昭和31年)に三会院(本堂)・開山堂・書院が解体修理されました。
●戦後に度々発掘調査が行われました。
【臨川寺の開基である後醍醐天皇】
南朝初代で、第96代・後醍醐天皇は1288年(正応元年)に大覚寺統の第91代・後宇多天皇と五辻忠子の第2皇子として生まれました。1302年(正安4年)に親王宣下を受け、1304年(嘉元2年)に大宰帥になり、帥宮と言われました。1308年(徳治3年)に持明院統の第95代・花園天皇が即位すると皇太子になり、1318年(文保2年)に花園天皇が譲位すると後醍醐天皇に即位しました。即位後に後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)が院政を行っていたが、1321年 (元亨元年) に院政を停止し、天皇の親政を始めました。吉田定房・北畠親房らの人材を集めて記録所を再興し、政治改革を始めました。また鎌倉幕府打倒を図ったが、1324年(正中元年)の正中の変・1331年(元弘元年)の元弘の乱に失敗し、1332年(正慶元年)に隠岐に流されました。その後隠岐を脱出し、1333年(元弘3年)に鎌倉幕府が滅ぶと京都に戻り、建武の新政を開始しました。しかし室町幕府初代将軍・足利尊氏と対立し、京都を脱出して奈良・吉野に南朝を樹立し、南北朝時代が始まりました。第96代・後醍醐天皇は1339年(延元4年・暦応2年)に退勢を挽回できずに悲運の内に吉野で崩御しました。
【臨川寺の歴史 備考】
*参考・・・臨川寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia