わら天神宮の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

敷地神社

わら天神宮の歴史を時代別年表にまとめ

わら天神宮の歴史を簡単にまとめています。わら天神宮は831年(天長8年)に氷室が設けられ、加賀から夫役として移ってきた者が加賀・菅生石部神社の敷地天神を勧請し、母神・木花開耶姫命を氏神として北山の神の隣に祀ったのが起源と言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

わら天神宮・敷地神社(アクセス・歴史・・・)

【北山の神】

●わら天神宮(敷地神社(しきちじんじゃ)が建立されている場所は元々、山背国葛野郡衣笠村(きぬがさやま)に降臨した天神地祇(てんじんちぎ)を北山の神として祀っていた場所と言われています。「類聚国史(るいじゅうこくし)」によると828年(天長5年)の大雨・大地震の際、第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)が北山の神に幣帛(へいはく)を奉ったと記され、北山の神は平安時代(794年~1185年)前期以前から祀られていたと言われています。
●金閣寺が建立されている場所は鎌倉時代(1185年~1333年)前期に公卿(くぎょう)・西園寺公経(さいおんじきんつね)が尾張国松枝庄の所領との交換により、公卿・白川仲資王(しらかわなかすけおう)から手に入れた土地でした。1224年(元仁元年)に西園寺公経が山荘・北山第(きたやまてい)を造営し、氏寺・西園寺を創建したと言われています。

【わら天神宮の起源・始まり】

●わら天神宮は831年(天長8年)に氷室が設けられ、加賀(石川)から夫役として移ってきた者が加賀・菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)の敷地天神を勧請し、母神・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を氏神として北山の神の隣に祀ったのが起源と言われています。わら天神宮は木花開耶姫命を主祭神として祀っていることから古くから安産・子授けの神として信仰されてきました。わら天神宮は古来から稲わら(稲藁)で編んだ籠(かご)で神饌(しんせん)を捧げており、やがて抜け落ちたわら(藁)を安産を願う妊婦が持ち帰るようになり、その後わら(藁)を切り取って安産のお守りとして授与するようになりました。お守りはわら(藁)に節があると男の子、節がないと女の子が誕生すると言われています。

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

●859年(貞観元年)に六勝神社(ろくしょうじんじゃ)が初めて祭祀され、その後西園寺氏(さいおんじし)の鎮守として崇敬されました。
●968年(安和元年)に「枕草子(まくらのそうし)」の作者・清少納言(せいしょうなごん)の父・清原元輔(きよはらのもとすけ)が綾杉明神(あやすぎみょうじん)を「生ひ繁れ 平野の原の あや杉よ 濃き紫に 立ちかさぬべく・拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)」と詠みました。綾杉明神は平安時代中期には既に著名であったと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

●1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が金閣寺(きんかくじ)の前身となる御所・北山殿(きたやまどの)を造営した際、参拝が不便になったことから北山の神と木花開耶姫命を合祀し、現在の場所に遷して鎮守神としました。社名は菅生石部神社の通称である「敷地神社」になりました。なお足利義満は河内(大阪)の領地との交換により、西園寺氏の山荘・北山第を譲り受けて、改築・新築によって御所・北山殿を造営しました。1398年(応永5年)に舎利殿(しゃりでん・金閣)が建立され、1層目に釈迦三尊(しゃかさんぞん)が安置され、3層目に仏舎利(ぶっしゃり)が納められました。
●1467年(応仁元年)に応仁の乱(おうにんのらん)が起こり、兵火によって荒廃したと言われています。その後仮社殿が建てられました。ただ綾杉明神は焼失を免れました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●1847年(弘化4年)に社殿が大補修されたと言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●明治時代に村社に列せられました。
●1873年(明治6年)に六勝神社が遷されてきました。
●1896年(明治29年)8月に綾杉明神が伊勢湾台風の暴風によって倒壊しました。その後再興され、残った幹に素屋根を掛けて祀っています。
●1907年(明治40年)に衣笠氷室町から八幡神社(はちまんじんじゃ)が遷されてきました。
●1935年(昭和10年)に社殿が改修されました。
●1983年(昭和58年)に5社で西大路福社ご利益巡りが始まり、1984年(昭和59年)に7社による西大路七福社ご利益巡りなり、その一社になりました。わら天神宮・平野神社・熊野神社衣笠分社・大将軍八神社・西院春日神社・若一神社・吉祥院天満宮を巡ります。

【わら天神宮の祭神である木花開耶姫命】

木花開耶姫命は日本神話に登場する女神で、日本最古の歴史書「古事記(こじき)」では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)、別名を木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)、日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)」では本名を神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)、別名を木花開耶姫と記されています。木花開耶姫命は父が大山津見神(おおやまつみのかみ)で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)と結婚し、一夜で身篭って火中で火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、初代・神武天皇(じんむてんのう)の祖父・火遠理命(ほおりのみこと)を生んだとされています。

【わら天神宮の歴史 備考】
*参考・・・わら天神宮・敷地神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る