西方寺六斎念仏2025年8月16日(日程時間・・・)
西方寺六斎念仏
西方寺六斎念仏(日程・時間・・・)を紹介しています。六斎念仏は例年8月16日に行われています。六斎念仏は送り火法要で西方寺六斎念仏保存会によって奉納されます。西方寺は五山送り火のひとつである船形を担当し、船形終了後に奉納されます。ちなみに船形の舳先は西方浄土の方向を示し、船形には精霊船の意味も込められているとも言われています。(詳細下記参照)
【西方寺六斎念仏2025 日程時間(要確認)】
西方寺六斎念仏2025は2025年(令和7年)8月16日(土曜日)21:00頃から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・京都六斎念仏保存団体連合会ホームページ
【西方寺六斎念仏 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区西賀茂鎮守菴町50
最寄り駅・バス停・・・神光院前(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から西方寺は9系統(B1乗り場)
*四条河原町からは37系統
*河原町丸太町からは37系統
路線・時刻表・運賃チェック
【西方寺六斎念仏 歴史・簡単概要】
西方寺六斎念仏(ろくさいねんぶつ)は送り火法要(おくりびほうよう)で西方寺六斎念仏保存会によって奉納されます。西方寺は五山送り火のひとつである船形(船形万燈籠)を担当し、船形終了後に奉納されます。ちなみに船形の舳先(へさき)は西方浄土の方向を示し、船形には精霊船(しょうりょうぶね)の意味も込められているとも言われています。
六斎念仏は鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です。六斎念仏は平安時代中期に踊り念仏で知られ、市聖(いちひじり)と言われた空也上人(くうやしょうにん)が始めたとも、鎌倉時代に西方寺(さいほうじ)を中興した道空上人(どうくうしょうにん)が始めたとも言われています。ちなみに六斎念仏の中でも笛などの楽器を使用し、娯楽要素の強い六斎念仏は芸能六斎とも言われています。現在六斎念仏には芸能色がほとんどなく、宗教色が強い干菜寺系(ほしなでらけい)念仏六斎と芸能色が強い空也堂系(くうやどうけい)芸能六斎があります。ただ空也堂系には宗教色が強い念仏六斎もあります。なお六斎念仏は1ヶ月に6日(8日・14日・15日・23日・29日・30日)ある忌み日・六斎日に行われたことから名付けられました。
送り火はお盆(盂蘭盆・うらぼん)の最後の日の夕方、お盆にあの世(冥府)から帰ってきたお精霊さん(死者の霊)を現世から再びあの世に送り出す行事です。送り火は各家の門前などで行われるものから五山送り火(ござんのおくりび)のように大規模・地域的に行われるものもあります。
船形は平安時代初期に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が始めたと言われています。慈覚大師・円仁は847年(承和14年)唐からの帰路に暴風雨に見舞われたが、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と名号を紙に書いて海に投げ、「四海泰平(しかいたいへい)」と祈念されると暴風雨が静まり、無事に帰国することができたことからその船を形どって始めたと言われています。船形には慈覚大師・円仁が始めた説以外にも910年(延喜10年)に疫病が蔓延し、死者の初盆の供養に行われたという説、各地の風習となっていた燈籠流し(とうろうながし)の船が起源とする説もあります。
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【西方寺 歴史・簡単概要】
西方寺(さいほうじ)は承和年間(834年~848年)に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が創建し、天台宗山門派に属していたと言われています。その後正和年間(1312年~1316年)に浄土宗の僧・道空上人(どうくうしょうにん)が中興し、天台宗から浄土宗に改め、干菜寺(ほしなでら・光福寺)の末寺になり、六斎念仏(ろくさいねんぶつ)の寺と言われるようになりました。なお西方寺は例年8月16日に行われる五山送り火のひとつをである船形(船形万灯籠・ふながたまんとうろう)を担当し、船形終了後に境内で六斎念仏(念仏六斎)が行われます。
西方寺は浄土宗の寺院です。
*参考・・・西方寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【西方寺六斎念仏 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西方寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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