千本釈迦堂桜見ごろ2025(時期:4月上旬頃)
千本釈迦堂桜見ごろ(見頃)
千本釈迦堂桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。桜の見ごろは例年4月上旬頃です。千本釈迦堂は境内に樹齢約80年の枝垂桜である阿亀桜・染井吉野・普賢象桜などの桜の木が植えられ、桜と本堂・おかめ塚(阿亀塚)などの光景が美しいと言われています。ちなみに千本釈迦堂は観光客にはあまり知られていない、桜の穴場とも言われています。(詳細下記参照)
【千本釈迦堂桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
千本釈迦堂の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
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【千本釈迦堂桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町
最寄り駅・バス停・・・上七軒(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から千本釈迦堂は50系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統、203系統
*四条烏丸からは51系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
【千本釈迦堂桜見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
千本釈迦堂は桜の名所です。千本釈迦堂の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
千本釈迦堂は境内に樹齢約80年の枝垂桜である阿亀桜(おかめざくら)・染井吉野・普賢象桜などの桜の木が植えられ、桜と本堂・おかめ塚(阿亀塚)などの光景が美しいと言われています。ちなみに千本釈迦堂は観光客にはあまり知られていない、桜の穴場とも言われています。
阿亀桜の名称は本堂建立にまつわる伝承に由来しています。大工の棟梁・長井高次が代りのない四天王の柱の1本の寸法を切り誤って困っていました。すると妻・おかめ(阿亀)が斗組(ますぐみ)を用いたらとアドバイスして無事に完成したが、おかめは女のアドバイスで大任を果たしたことが知れては夫の面目が潰れと思って、上棟式を待たずに自害したと言われています。
本堂は1227年(安貞元年)に建立され、「安貞元年」の棟札も残っています。本堂は京都の大半を焼き尽くした応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火や1730年(享保15年)の享保の大火(西陣焼け)などから焼失を免れました。なお本堂は須弥檀高御座式の厨子(国宝)内に納められた釈迦如来坐像(重要文化財)を安置しています。
おかめ塚には夫婦円満・縁結び・子授けのご利益があるとも言わていれます。
桜(染井吉野)は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になると言われています。また地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になると言われています。
●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
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【千本釈迦堂 歴史・簡単概要】
千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)・大報恩寺(だいほうおんじ)は1221年(承久3年)に奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡(ふじわらひでひら)の孫で、比叡山で修行した求法上人(ぐほうしょうにん)・義空(ぎくう)が公卿・藤原光隆(ふじわらのみつたか)の従者・岸高(がんこう)の寄進によって創建したと言われています。千本釈迦堂は第87代・四条天皇から倶舎(くしゃ)・天台・真言の三宗兼学を許され、1227年(安貞元年)には現在の本堂(国宝)が建立されました。本堂の建立では大工の棟梁・高次と自害した妻・おかめの伝説が残されています。その後1391年(明徳2年)の明徳の乱や応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火、そして火災などに見舞われたが、本堂だけは焼失を免れ、京洛最古の建造物として国宝に指定されました。江戸時代初期に京都所司代・板倉勝重(いたくらかつしげ)によって真言宗に改められ、智積院(ちしゃくいん)・正玄寿の隠居所になったと言われています。
千本釈迦堂は真言宗智山派の寺院です。
*参考・・・千本釈迦堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【千本釈迦堂桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
千本釈迦堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
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