愛宕念仏寺息災護摩供(日程・時間・・・)

愛宕念仏寺息災護摩供
愛宕念仏寺息災護摩供(日程・時間・・・)を紹介しています。息災護摩供は例年1月24日に行われています。息災護摩供では信者などの願いが込められた護摩木を焚き上げ、息災を願います。なお息災護摩供では火之要慎と奉修十六羅漢大神通力供除災如意吉祥祈攸のお札が授与されます。(要確認)
【愛宕念仏寺息災護摩供2017 日程時間(要確認)】
愛宕念仏寺息災護摩供2017は2017年1月24日(火曜日)13:00から行われます。
【愛宕念仏寺息災護摩供 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
最寄り駅・バス停・・・愛宕寺前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは72系統(C6乗り場)
京都バス・アクセスダイヤ
【愛宕念仏寺息災護摩供 歴史・簡単概要】
愛宕念仏寺息災護摩供(そくさいごまく)では信者などの願いが込められた護摩木を焚き上げ、息災を祈願します。
息災護摩供では本堂で法要を行われ、般若心経(摩訶般若波羅蜜多心経・まかはんにゃはらみったしんぎょう)が唱えられます。法要終了後に本堂前に設けられた護摩壇に供えられていた線香・小豆・お米などの供物が投げ入れられて点火されます。その後信者などの願いが込められた護摩木を焚き上げ、息災を願います。なお息災護摩供では火之要慎(ひのようじん)と奉修十六羅漢大神通力供除災如意吉祥祈攸(ほうしゅうじゅうろくらかんだいじんつうりきくじょさいにょいきっしょうきゆう)のお札が授与されます。(要確認)ちなみに奉修十六羅漢大神通力供除災如意吉祥祈攸には所願成就のご利益があるとも言われているそうです。
火之要慎のお札は地蔵堂に安置され、平安時代初期に造仏された火除(火伏)地蔵菩薩坐像に由来するそうです。地蔵菩薩は火伏の神として信仰されている愛宕山の本地仏とされているそうです。ちなみに愛宕山に造営されている愛宕神社は古くから火伏・防火に霊験があるとされ、火迺要慎(ひのようじん)の火伏札を授与しています。
十六羅漢は跋羅駄闍・迦諾迦伐蹉・諾迦跋釐駄・蘇頻陀・諾矩羅・跋陀羅・迦哩・弗多羅・戎博迦・半諾迦・羅怙羅・那伽犀那・因掲陀・伐那婆斯・阿氏多・注荼半託迦です。十六羅漢はお釈迦様の命により、世にとどまって仏法を守り、衆生を導くものとされています。なお羅漢は阿羅漢の略で、サンスクリット語のアルハットが語源と言われています。
【愛宕念仏寺 歴史・簡単概要】
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)・千二百羅漢の寺は奈良時代後期の766年(天平神護2年)に第45代・聖武天皇の娘である第48代・称徳天皇(第46代・孝謙天皇)が東山松原通の地に創建したのが起源とも言われています。この地は山城国(やましろのくに)愛宕郡(おたぎごうり)と言われ、寺も愛宕の地に最初に建立さたことから愛宕寺(おたぎでら)と名付けられました。平安時代初期に真言宗(しんごんしゅう)東寺(とうじ)派の末寺になったとも言われるが、第60代・醍醐天皇の時代(897年(寛平9年)~930年(延長8年))頃に鴨川の洪水で流出して廃寺になり、その後天台宗の僧である伝燈大法師(でんとうだいほうし)・千観内供(せんかんないぐ)が第60代・醍醐天皇の命によって再興し、真言宗から天台宗に改め、山号も愛宕念仏寺に改められました。千観内供は一刀三十三礼をして自ら本尊を刻んだとも言われ、厄除千手観音(やくよけせんじゅかんのん)として篤く信仰されました。大正時代に区画整理によって現在の場所に移り、戦時中に無住寺になったり、1950年(昭和25年)の台風によって被災したりして一時廃寺になったが、1955年(昭和30年)に仏師で、僧の西村公朝(にしむらこうちょう)が再興しました。
愛宕念仏寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・愛宕念仏寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【愛宕念仏寺息災護摩供 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
愛宕念仏寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報