高良神社太鼓まつり2025年7月(日程時間・・・)
高良神社太鼓まつり(日程時間・アクセス・概要・・・)
高良神社太鼓まつり(日程・時間・・・)を紹介しています。太鼓まつりは例年7月中旬頃に行われています。太鼓まつりでは重さ約1.5~2トンの太鼓を載せた屋形神輿が太鼓を打ち鳴らし、「ヨッサー、ヨッサー」の掛け声とともに氏子町内を練り歩きます。宮入りでは屋形神輿が集結し、太鼓を打ち鳴らしながら掛け声とともに参道を練り歩きます。(詳細下記参照)
【高良神社太鼓まつり2024 日程時間(要確認)】
高良神社太鼓まつり2024は2024年(令和6年)7月18日(木曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・八幡市役所ホームページ
【高良神社太鼓まつり アクセス・マップ】
場所・・・京都府八幡市八幡高坊30
最寄り駅・バス停・・・石清水八幡宮駅(徒歩約6分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*祇園四条駅から高良神社は京阪電鉄本線
【高良神社太鼓まつり 歴史・簡単概要】
高良神社太鼓まつり(たいこまつり)・やわた太鼓まつり・高良社祭は江戸時代中期の1783年(天明3年)~1784年(天明4年)頃に地元有志が社殿前に提灯を並べたり、茶店を出したりした私的行事が起源とも言われています。その後江戸時代末期の文政年間(1818年~1830年)頃に太鼓を載せた屋形神輿が氏子町内ごとに造られ、「ヨッサー、ヨッサー」の掛け声とともに氏子町内を練り歩いたのが豪壮な太鼓まつりに発展したと言われています。なお太鼓まつりは太鼓まつり連絡協議会が主催して行われています。
太鼓まつりでは市内4地区の重さ約1.5~2トンの太鼓を載せた屋形神輿が太鼓を打ち鳴らし、「ヨッサー、ヨッサー」の勇ましい掛け声とともに氏子町内を練り歩きます。宮入りでは屋形神輿が集結し、太鼓を打ち鳴らしながら掛け声とともに参道を練り歩きます。また太鼓まつりではイベントも行われます。(要確認)なお太鼓まつりでは1987年(昭和62年)に復興された提灯献灯約600灯が参道に並びます。提灯献灯は1783年(天明3年)頃に始まったそうです。
【高良神社 歴史・簡単概要】
高良神社(こうらじんじゃ)・高良社は行教(ぎょうきょう)が造営した神殿の跡とも言われています。高良神社は860年(貞観2年)または869年(貞観11年)に創建されたとも言われています。高良神社はかつて放生川(ほうじょうがわ・大谷川(おおたにがわ))近くに創建され、河原社と称したとも言われています。戊辰戦争(ぼしんせんそう)の緒戦となった1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)の兵火によって焼失し、その後再建されたり、移築されたりしたが、1906年(明治39年)に元の場所に現在の社殿が再建されました。なお高良神社は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)を祀り、八幡地区の氏神です。
高良神社は石清水八幡宮の摂社です。
*参考・・・高良神社・石清水八幡宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【石清水八幡宮 歴史・簡単概要】
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は859年(貞観元年)に南都(奈良)大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が豊前(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮)の祭神・八幡大神から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、男山の峯に神霊を奉安したのが起源と言われています。翌860年(貞観2年)に第52代・清和天皇が八幡造りの社殿(六宇の宝殿(ろくうのほうでん))を造営しました。石清水八幡宮の名称は男山に既にあった石清水山寺(摂社・石清水社)に由来しています。その後939年(天慶2年)の承平天慶の乱(平将門の乱・藤原純友の乱)の平定以来、国家鎮護の社として皇室に篤く崇敬され、第64代・円融天皇の行幸から天皇の行幸や上皇の御幸は240余度にもなりました。また清和天皇を祖とする源氏諸氏族の氏神としても崇敬されました。なお明治維新後の神仏分離により、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」に改め、1871年(明治4年)に社号を「男山八幡宮」に改めたが、1918年(大正7年)には「石清水八幡宮」に改めました。
*参考・・・京都・石清水八幡宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【高良神社太鼓まつり 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
高良神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報