松尾大社御田祭2025年7月20日(日程時間・・・)
松尾大社御田祭(日程時間・アクセス・概要・・・)
松尾大社御田祭(日程・時間・・・)を紹介しています。御田祭は例年7月の第3日曜日に行われています。御田祭では五穀豊穣を祈願します。なお御田祭では花笠・かいばりに紅白の襷掛け姿の植女(うえめ)の童女が両手に早苗を捧げ持ったまま壮夫(ますらお)の肩に乗り、拝殿を3周します。早苗は神饌田の四隅に虫除けとして植えられます。(詳細下記参照)
【松尾大社御田祭2025 日程時間(要確認)】
松尾大社御田祭2025は2025年(令和7年)7月20日(日曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・京都・松尾大社ホームページ
【松尾大社御田祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市西京区嵐山宮町3
最寄り駅・バス停・・・松尾大社前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは28系統(D3乗り場)
*四条烏丸からは29系統
路線・時刻表・運賃チェック
*阪急嵐山線の場合、最寄り駅は松尾大社駅(徒歩すぐ)
【松尾大社御田祭 歴史・簡単概要】
松尾大社御田祭(おんださい)は古くから行われている神事で、1376年(永和2年)や1469年(文明元年)に行われた記録が残っているそうです。かつての御田祭では撤布された苗を持ち帰り、田の虫除けにしたとも言われています。なお御田祭は明治時代以前は6月23日に行われていたが、その後7月23日に代わり、1974年(昭和49年)からは7月の第3日曜日に行われるようになりました。
御田祭では先ず氏子地域で採れた野菜が供えられ、次に神職による祝詞奏上や奉幣使(ほうへいし)による祈願詞奏上により、五穀豊穣を祈願します。その後花笠・かいばり(打掛)に紅白の襷掛け姿の植女(うえめ)の童女が神職から早苗を授けられます。植女は両手に早苗を捧げ持ったまま壮夫(ますらお)の肩に乗り、拝殿を3周します。拝殿での神事が終了すると神饌田(しんせんでん)に移動し、早苗が神饌田の四隅に虫除けとして植えられ、虫除けの神事が行われます。かつては実際に田植えが行われていたが、いつの頃からか予祝行事の様式に変わったそうです。
植女は松尾(惣市)・下津林・嵐山(上山田)の3地区の氏子地区からそれぞれら10歳前後の童女が一人ずつ選ばれるそうです。
松尾大社では7月の御田祭以外にも6月に御田植式(おたうえしき)・10月に抜穂祭(ぬきほさい)が行われます。ちなみに神饌田で収穫されたお米は神前に供えられるそうです。なお御田祭は京都市無形民俗文化財に指定されています。
●松尾大社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
松尾大社歴史(秦忌寸都理・文武天皇)
●松尾大社の見どころ(本殿・拝殿など)を紹介しています。
松尾大社見どころ(本殿・拝殿など)
【松尾大社 歴史・簡単概要】
松尾大社(まつのおたいしゃ・まつおたいしゃ)は起源が明確ではありません。松尾大社は太古の昔、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に生活の守護神として祭神・大山咋神(おおやまぐいのかみ)を祀ったのが起源とも言われています。その後5世紀頃に秦の始皇帝の子孫と称する渡来系氏族・秦氏(はたうじ)が松尾山の神を秦氏一族の総氏神として祀り、開拓に従事したとも言われています。701年(大宝元年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が文武天皇の勅命によって現在の場所に社殿を造営し、知満留女(ちまるめ)を斎女として松尾山山上の磐座に祀られていた神霊を社殿に移して祀りました。その後794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都後、東の賀茂社(上賀茂神社(賀茂別雷神社)・下鴨神社(賀茂御祖神社))とともに「東の厳神・西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置付けられました。承和年間(834年~847年)に神階・従三位、852年(仁寿2年)に神階・正二位、859年(貞観元年)に神階・正一位に叙され、その後に勲一等に叙せられました。その後「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」では名神大社とされ、明神二十二社・上七社では第4位に記されました。なお松尾大社は大山咋神・中津島姫命(なかつしまひめのみこと・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神に祀っています。
*参考・・・京都・松尾大社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【松尾大社御田祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
松尾大社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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