丹波国分寺跡(アクセス・マップ・見どころ・・・)
丹波国分寺跡
丹波国分寺跡(アクセス・見どころ・拝観料金・・・)情報を紹介しています。丹波国分寺跡に建立されていた七重塔は奈良時代後期に創建され、平安時代末期に再建されたと言われています。七重塔は創建時の基壇が約15.6メートル四方、再建時の基壇が約16.4メートル四方で、丹波国分寺跡に17個の礎石が残されています。
【丹波国分寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・京都府亀岡市千歳町国分桜久保25
最寄り駅・バス停・・・国分(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR亀岡駅から京都交通バス
路線・時刻表・運賃チェック
【丹波国分寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【丹波国分寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【丹波国分寺跡 歴史・簡単概要】
丹波国分寺跡(たんばこくぶんじあと)は京都府亀岡市千歳町国分桜久保にあります。丹波国分寺は奈良時代中期の741年(天平13年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が国家鎮護の為、日本国内の各国に国分寺・国分尼寺を建立するように指示した国分寺建立の詔(みことのり)によって創建されたと言われています。ただ丹波国分寺がいつ創建されたかは明確ではなく、出土した瓦から奈良時代末期に創建されたと言われています。丹波国分寺は南北約243メートル・東西約248メートルで、西側に金堂(本堂)、東側に七重塔、中央奥側に講堂などの伽藍が配されていました。平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」によると国分寺料として稲4万束が与えられ、平安時代末期頃に再建されたとも言われています。平安時代後期に造仏された本尊・薬師如来(やくしにょらい)坐像が残されています。その後戦国時代(室町時代後期)に織田信長(おだのぶなが)の家臣・明智光秀(とよとみみつひで)による兵火によって焼失したと言われています。また山門は亀山城の雷門、毘沙門天(びしゃもんてん)は亀山城内に移されたと言われています。江戸時代中期の1774年(安永3年)に護勇比丘(ごゆうびく)が現在の本堂・鐘楼・山門を再建したと言われています。また1701年(元禄14年)銘の鰐口(わにぐち)が残され、それ以前に再興されたとも言われています。なお丹波国分寺跡は国の史跡に指定されています。
*参考・・・丹波国分寺跡(アクセス・歴史・見どころ・・・)
【丹波国分寺跡 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
丹波国分寺跡の見どころは七重塔跡の礎石(17個)です。またいずれも亀岡市指定文化財に指定されている本堂・鐘楼・山門も見どころです。更にいずれも亀岡市の天然記念物であるオハツキイチョウ・カゴノキ・ムクノキも見どころです。オハツキイチョウは樹高約22メートル・幹周約4.3メートルです。カゴノキは樹高約13メートル・幹周約3.3メートルです。ムクノキは樹高約25メートル・幹周約6.36メートルです。(1996年(平成8年)時点)
【丹波国分寺跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0771-25-5068(社会教育課)
【丹波国分寺跡 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【丹波国分寺跡 おすすめ散策ルート】
丹波国分寺跡からのおすすめ散策ルートは東側ある愛宕神社(元愛宕)を散策することです。20分ほど散策するとひえ愛宕神社(元愛宕)に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお丹波国分寺跡周辺にはあまり観光スポットが多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。