吉田神社山蔭祭2025年5月8日(日程時間・・・)
吉田神社山蔭祭
吉田神社山蔭祭(日程・時間・・・)を紹介しています。山蔭祭は例年5月8日に行われています。山蔭祭では料理・飲食業界の繁栄と発展などを祈願します。山蔭祭では烏帽子(えぼし)・狩衣(かりぎぬ)姿で、食材を穢れ(けがれ)の元となる手で直接触れず、包丁と菜箸のみで調理する生間流式庖丁(いかまりゅうしきぼうちょう)の奉納などが行われます。(詳細下記参照)
【吉田神社山蔭祭2025 日程時間(要確認)】
吉田神社山蔭祭2025は2025年(令和7年)5月8日(木曜日)14:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・吉田神社ホームページ
【吉田神社山蔭祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区吉田神楽岡町30番地
最寄り駅・バス停・・・京大正門前(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から吉田神社は206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは31系統、201系統
*四条烏丸からは31系統、201系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄鴨東線の場合、最寄り駅は出町柳駅(徒歩約20分)
【吉田神社山蔭祭 歴史・簡単概要】
山蔭神社(吉田神社)山蔭祭(やまかげさい)・例祭(れいさい)では料理・飲食業界の繁栄と発展などを祈願します。山蔭祭では烏帽子(えぼし)・狩衣(かりぎぬ)姿で、まな板の上の魚などの食材を穢れ(けがれ)の元となる手で直接触れず、包丁と菜箸(さいばし)のみで調理する生間流式庖丁(いかまりゅうしきぼうちょう)の奉納などが行われます。
生間流は宮中料理・武家料理・有職料理(ゆうそくりょうり)を伝える日本料理の流派です。生間流は平安時代の公卿で、九条家の祖・藤原山蔭が創始した四条流庖丁道(しじょうりゅうほうちょうどう)を起源としています。藤原山蔭は光孝天皇の命により、宮中料理の調理法・作法などを考案して整えました。生間流は鎌倉時代に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝から生間姓を賜り、その後足利家・織田家・豊臣家に仕えました。1624年(寛永元年)後水尾天皇が二条城に行幸した際、天皇家・江戸幕府の料理人とともに町方の料理人として生間流が抜擢され、明治時代まで八条宮(桂宮)の料理人を務めました。
例祭は神社が毎年行う祭礼の内、最も重要な祭礼とされています。例祭は1年に1回行われることが多いが、神社によっては春・秋など1年に2回行われこともあります。なお例祭は例大祭(れいたいさい)とも言われるが、例大祭は俗称で、正式には大祭式例祭(たいさいしきれいさい)と言うそうです。
【山蔭神社 歴史・簡単概要】
山蔭神社(やまかげじんじゃ)は1957年(昭和32年)吉田神社鎮座1100年大祭を機に全国料理関係者の協賛によって造営されました。山蔭神社は吉田神社の創始者で、四条流庖丁道の創始者である藤原山蔭を祀り、相殿には恵比須神(えびすがみ)を祀っています。なお藤原山蔭は日本で初めてあらゆる食物を調理・調味づけたと言われ、古くから包丁の神・料理飲食の祖神として崇敬されてきたそうです。
【吉田神社 歴史・簡単概要】
吉田神社(よしだじんじゃ)は平安時代前期の859年(貞観元年)に中納言・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が平安京の鎮守神として、藤原氏の氏神である奈良・春日大社(かすがたいしゃ)に祀られている四座の神(建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)・伊波比主命(いはいぬしのみこと)・天之子八根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ))を吉田山に勧請したのが起源です。吉田山は古くから「神が集いし岡」を意味する神楽岡(かぐらおか)と言われています。平安時代中期の987年(永延元年)に吉田祭が公祭になり、991年(正暦2年)に二十二社の前身である十九社奉幣に加列されました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって本殿が焼失したとも言われています。文明年間(1469年~1486年)に神道家・吉田兼倶(よしだかねとも)が室町幕府第8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の妻・日野富子(ひのとみこ)などの寄進により、吉田神道(唯一神道)を創始し、天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)を祀る斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)を建立したと言われています。
*参考・・・吉田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【吉田神社山蔭祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
吉田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報