五山送り火歴史(大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形)

五山送り火

五山送り火歴史

五山送り火はいつ始まったかは明確ではありません。戦国時代に盛んに行われた万灯会が山で点火され、盂蘭盆会(お盆)の精霊送りの火になったとも言われています。ただ大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形にはそれぞれの起源に諸説もあります。

【五山送り火2026 日程】
五山送り火2026は2026年(令和8年)8月16日(日曜日)20:00から5分間隔で順次点火されます。なお五山送り火は原則雨天決行だが、気象条件によって点火時間が変更になる場合もあります。
五山送り火2026(大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形)

【五山送り火 場所位置】

●大文字・・・京都市左京区浄土寺・大文字山(如意ヶ嶽)
●妙法・・・京都市左京区松ヶ崎・西山(万燈籠山)と東山(大黒天山)
●船形・・・京都市北区西賀茂・船山
●左大文字・・・京都市北区大北山・左大文字山
●鳥居形・・・京都市右京区嵯峨鳥居本・曼陀羅山

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【五山送り火 歴史・簡単概要】
五山送り火はいつ始まったかは明確ではありません。戦国時代(1493年~1590年)に盛んに行われた万灯会(まんとうえ)が山で点火され、盂蘭盆会(うらぼんえ・お盆)の精霊送りの火になったとも言われています。
公家・山科言国(やましなときくに)の日記「言国卿記(ときくにきょうき)」1476年(文明8年)7月15日の条に「一、夜ニ罷出、所々ノマントウロウ見了、小輔・左衛門・掃部供也、 一、夜二位下山也、燈籠見物すべしとてさそわるるなり、罷り出る也」と記され、旧暦の7月15日にお供とともに山を巡って万燈籠を見物し、一度下山した後に誘われてまた燈籠を見物したことが分かります。相国寺(しようこくじ)蔭凉軒(おんりょうけん)の歴代軒主の日記「蔭凉軒日録」1486年(文明18年)7月16日の条に「小宴あり、屋上に登り所々の萬燈をみる」、同1487年(文明19年)7月17日の条に「諸霊に向かい水を向け、屋上に上り四面の萬灯を観る」と記され、屋上に登って四面の萬燈(萬灯)を見物したことが分かります。また小宴が行われたことも分かります。吉田兼見(よしだかねみ)の日記「兼見卿記(かねみきょうき)」1580年(天正8年)7月16日の条に「今夜、四方山々万灯炉見物」、同1584年(天正12年)7月16日の条に「暮に及び、万灯爐之を見る、諸山にこれあり」と記され、四方の山々の万灯炉(万灯爐之)を見物したことが分かります。「言国卿記」・「蔭凉軒日録」・「兼見卿記」から戦国時代(1493年~1590年)のお盆(旧暦の7月16日)に万灯が山々で点され、見物する習慣があったことが分かります。1662年(寛文2年)に俳人(はいじん)・仮名草子(かなぞうし)作者である中川喜雲(なかがわきうん)が刊行した「案内者」に「山々の送り火、但雨ふればのぶるなり、萬治三年庚子七月十六日雨天ゆえ、 東山の大もんじその外十七日にこれあり、松ヶ崎には妙法の二字を火にともす、やまに妙法といふ筆畫に杭をうち、松明を結つけて火をともしたるものなり、きた山には帆かけぶね、 浄土寺に大文字みなかくのごとし、大文字は三藐院殿の筆畫にて、きり石をたてたりといふ、筆勢ゆるやかにみゆ、一もんじの長さ三丈ばかりもやあるらん、なによりおもしろきは京の上下、手ごとに麻木のたいまつを数十本づつもちて、ひがしがわら上は今出川口、下は三條川原まで、さしもに広き川原に盈ふさがり、東のたいまつに火付、聖霊のをくり火をともし、一二丈づつそらになげあぐる、数百千の火を手ごとにあぐれば、瀬田のほたる見のおもかげあり、月出る比になれば、川ばたに並居て、さけのみ歌うたふもけしからずや」と記され、五山送り火である大文字・妙法・船形が具体的に記されている最古の記録と言われ、江戸時代(1603年~1868年)前期には既に大文字・妙法・船形が灯されていたことが分かります。また現在と違って悪天候の場合、旧暦の7月16日のお盆ではなく、翌7月17日に延期されていたことが分かります。江戸時代前期に大文字・妙法・船形を見物する場合、鴨川の河川敷(北側の今出川から南側の三条)に人々が集まり、点火とともに手に持っていた松明を空に投げ上げ、空に投げ上げられた数百、千の松明の光景は滋賀・瀬田のホタルのようだったことが記されています。また月が空に上る頃には河川敷で酒を飲んだり、歌を歌っても不謹慎ではなかったと記されています。五山送り火にはお盆(盂蘭盆(うらぼん))にあの世から帰ってきたお精霊さん(おしょらいさん)をあの世に送り返す仏教的行事の側面だけでなく、お酒を飲んだり、歌を歌ったりするお祭り的な側面もあったのかもしれません。

【大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形 歴史・簡単概要】
大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形にはそれぞれの起源に諸説もあります。
●大文字には平安時代初期に弘法大師・空海が始めたという説、室町時代中期に足利義政が始めたとする説、江戸時代初期に近衛信尹が始めたという説があります。
●妙法(松ヶ崎妙法)には「妙」は鎌倉時代末期に日像上人が始め、「法」は江戸時代に日良上人が始めたと涌泉寺の寺伝に記されているそうです。
●船形(船形万灯籠)には平安時代初期に慈覚大師・円仁が始めたという説、910年(延喜10年)に疫病が蔓延し、死者の初盆の供養に行われたという説、各地の風習となっていた「燈籠流し」の舟が起源とする説があります。
●左大文字には江戸時代中期以降に始まったと考えられています。「洛陽名所集(1658年・万治元年)」には左大文字は記載されていないが、「扶桑京華志(1665年・寛文5年)」には左大文字のことが記載されています。
●鳥居形(鳥居形松明)には平安時代初期に弘法大師・空海が始めたという説、伏見稲荷大社のお灯明として焚かれたという説、鳥居本が愛宕神社の参道であり、愛宕神社と関係がある説があります。
なお五山送り火以外にも以前には「い」(市原野)・「ー」(鳴滝)・「竹の先に鈴」(西山)・「蛇」(北嵯峨)・「長刀(観空寺村)などの送り火もあったそうです。
*参考・・・五山送り火ホームページ

【五山送り火歴史 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
五山送り火スポット

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