粟田神社節分祭2026年2月3日(古札焚上神事)
粟田神社節分祭(日程・アクセス・概要)
粟田神社節分祭(日程時間など)を紹介しています。節分祭は例年節分(立春の前日)に行われています。節分祭では先ず神事が行われ、その後古札焚上神事が行われます。古札焚上神事では火炉を設置し、正月の注連縄や古いお札・お守りなどが焚き上げられます。ただお餅・橙・みかんなどは焚き上げられることはできません。(詳細下記参照)
【粟田神社節分祭2026 日程時間(要確認)】
粟田神社節分祭2026は2026年(令和8年)2月3日(火曜日)19:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・粟田神社ホームページ
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2026
【粟田神社節分祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1番地
最寄り駅・バス停・・・神宮道(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)、100系統(D1乗り場)
*四条河原町からは5系統、46系統
*四条大宮・四条烏丸・四条京阪からは46系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は東山駅(徒歩約7分)、蹴上駅(徒歩約7分)
【粟田神社節分祭 歴史・簡単概要】
粟田神社節分祭(せつぶんさい)は例年節分(立春の前日)に行われています。節分祭では厄除け・招福を祈願します。
節分祭では先ず神事が行われ、その後古札焚上神事(こさつたきあげしんじ)が行われます。古札焚上神事では火炉を設置し、正月の注連縄(しめなわ)や古いお札・お守りなどが焚き上げられます。ただお餅・橙(だいだい)・みかん(蜜柑)などは焚き上げられることはできません。粟田神社には商売繁盛・家運隆盛のご利益があるとも言われている出世恵美須神社も祀られ、一緒に参拝するのがおすすめです。なお粟田神社は例年1月1日から2月15日に行われている京都十六社朱印めぐりになっており、時間がある方は京都十六社朱印めぐりもおすすめです。
- 節分は元々、季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
- 注連縄(標縄・七五三縄)は神域(常世)と現世を隔てる結界の役目や厄・禍を祓う役割があると言われています。なお注連縄は天照大神が天岩戸から出た際、太玉命が二度と天岩戸に入れないよう注連縄で塞いだのが起源とも言われているそうです。
- 京都十六社朱印めぐりでは今宮神社(健康長寿・良縁開運)・敷地神社(子授け・安産・厄除)・上御霊神社(心鎮め・厄除・学業成就)・市比売神社(女人厄除)・熊野神社(縁結び・安産・病気平癒)・岡崎神社(縁結び・子授け・安産・厄除)・若王子神社(学業成就・商売繁昌)・豊国神社(出世開運・厄除招福・良縁成就・商売繁盛)・粟田神社(旅立守護・厄除)・新熊野神社(健康長寿・病魔退散・お腹守護)・六孫王神社(出世開運・家運隆)・吉祥院天満宮(ちえと能力開発・受験合格・開運招福)・藤森神社(学問・勝運)・御香宮神社(安産・厄除・病気平癒)・西院春日神社(厄除・病気平癒・交通旅行安全)・長岡天満宮(合格祈願・厄除・開運)をめぐります。
【粟田神社 歴史・簡単概要】
粟田神社は第5代・孝昭天皇の末裔で、奈良時代から活躍し、この地を治めていた古代の豪族・粟田氏が氏神として祀ったのが起源とも言われています。また粟田神社は876年(貞観18年)に第56代・清和天皇が勅を発し、全国の諸神を祀って国家と国民の安全を祈願させた際、大己貴神からの神告により、八坂神社の祭神・牛頭天王(素戔嗚尊)にゆかりがある現在の場所に祀られたのが起源と言われています。勅使として派遣された藤原興世が八坂神社で7日7晩丹精を込めて祈願すると満願の夜に枕元に1人の老翁が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり。」と告げられ、神意を朝廷に奏上し、勅命によって社殿が建立されて神霊を祀りました。1001年(長保3年)に粟田祭が創始されました。同年の旧暦9月9日の夜、一人の神童が八坂神社に現れて神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と告げ、お告げのとおり瑞光が現れた為、御神幸が行われるようになりました。鎌倉時代に青蓮院が鴨川の氾濫を避ける為に三条白川から現在の場所に移り、その後青蓮院の鎮守社になりました。室町時代中期に応仁の乱で焼失したと言われています。1500年(明応9年)に室町幕府が吉田兼倶に命じ、室町幕府10代将軍・足利義稙の産土神として、八坂神社から新たに勧請して再興したと言われています。1703年(元禄16年)に拝殿が再建されました。明治維新後に社名を粟田神社に改めました。
*参考・・・粟田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【粟田神社節分祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
粟田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報















