粟田神社新嘗祭・火焚祭(日程・時間・・・)

粟田神社

粟田神社新嘗祭・火焚祭

粟田神社新嘗祭・火焚祭(日程・時間・・・)を紹介しています。新嘗祭・火焚祭は例年11月23日に行われます。新嘗祭・火焚祭では神事の後に氏子などの願いが込められた火焚串(護摩木)を護摩壇で焚き上げ、祈願成就を願います。(詳細下記参照)

【粟田神社新嘗祭・火焚祭2015 日程時間(要確認)】
粟田神社新嘗祭・火焚祭2015は2015年(平成27年)11月23日(月曜日)14:00から行われます。

【粟田神社新嘗祭・火焚祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1番地
最寄り駅・バス停・・・神宮道(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)、100系統(D1乗り場)
*四条河原町からは5系統、46系統
*四条大宮・四条烏丸・四条京阪からは46系統
路線・時刻表・運賃チェック

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【粟田神社新嘗祭・火焚祭 歴史・簡単概要】
粟田神社新嘗祭・火焚祭(にいなめさい・ひたきさい)は秋の収穫・五穀豊穣に感謝し、氏子などの願いが込められた火焚串(護摩木)をかまど型に組まれた護摩壇で焚き上げ、祈願成就を願います。火焚祭では本殿で神事を行った後に護摩壇に点火し、氏子などの参列者が火焚串を投入します。なお最後にみかんが焼きみかんにされます。焼きみかんには風邪除けのご利益があると言われています。
新嘗祭(にいなめさい・しんじょうさい)は古くから宮中で行われていた祭祀(祭儀)のひとつです。新嘗祭では天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝し、翌年の豊穣を祈願しました。なお新嘗祭は火焚祭の起源になったとも言われ、火焚祭は新嘗祭と言われることもあります。

【粟田神社 歴史・簡単概要】
粟田神社は第5代・孝昭天皇の末裔で、奈良時代から活躍し、この地を治めていた古代の豪族・粟田氏が氏神として祀ったのが起源とも言われています。また粟田神社は876年(貞観18年)に第56代・清和天皇が勅を発し、全国の諸神を祀って国家と国民の安全を祈願させた際、大己貴神からの神告により、八坂神社の祭神・牛頭天王(素戔嗚尊)にゆかりがある現在の場所に祀られたのが起源と言われています。勅使として派遣された藤原興世が八坂神社で7日7晩丹精を込めて祈願すると満願の夜に枕元に1人の老翁が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり。」と告げられ、神意を朝廷に奏上し、勅命によって社殿が建立されて神霊を祀りました。1001年(長保3年)に粟田祭が創始されました。同年の旧暦9月9日の夜、一人の神童が八坂神社に現れて神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と告げ、お告げのとおり瑞光が現れた為、御神幸が行われるようになりました。鎌倉時代に青蓮院が鴨川の氾濫を避ける為に三条白川から現在の場所に移り、その後青蓮院の鎮守社になりました。室町時代中期に応仁の乱で焼失したと言われています。1500年(明応9年)に室町幕府が吉田兼倶に命じ、室町幕府10代将軍・足利義稙の産土神として、八坂神社から新たに勧請して再興したと言われています。1703年(元禄16年)に拝殿が再建されました。明治維新後に社名を粟田神社に改めました。
*参考・・・粟田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【粟田神社新嘗祭・火焚祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
粟田神社新嘗祭・火焚祭2015ではみかん・おこし・お火焚き饅頭などのお下がりがあります。
粟田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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