知恩院除夜の鐘(大鐘)(例年12月31日)
知恩院除夜の鐘
知恩院除夜の鐘(日程・時間・・・)を紹介しています。除夜の鐘は例年12月31日から行われています。除夜の鐘は僧侶が撞き、一般の参詣者は見学だけになります。大鐘(重要文化財)は高さ約3.3メートル・口径約2.8メートル・重さ約70トン(1万8,000貫)という日本最大級の大きさを誇ることから親綱1人・子綱16人の僧侶が撞きます。(詳細下記参照)
【知恩院除夜の鐘 日程時間(要確認)】
知恩院除夜の鐘は12月31日22:40頃から行われます。なお20:00から開門され、23:00頃に閉門されます。(時間は変更される場合もあります。)
京都除夜の鐘
【知恩院除夜の鐘 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区林下町400
最寄り駅・バス停・・・知恩院前(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から知恩院は206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは12系統、46系統、201系統、203号系統
*四条烏丸からは46系統、201系統、203号系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約10分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約15分)
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は東山駅(徒歩約10分)
【知恩院除夜の鐘 歴史・簡単概要】
知恩院除夜の鐘(じょやのかね)は例年12月31日から行われています。除夜の鐘は僧侶が撞き、一般の参詣者は見学だけになります。大鐘(重要文化財)は高さ約3.3メートル・口径約2.8メートル・重さ約70トン(1万8,000貫)という日本最大級の大きさを誇ることから親綱1人・子綱16人の僧侶が撞きます。親綱を持つ僧侶が「えーい、ひとーつ」と掛け声を掛けると子綱を持つ16人の僧侶が「そーれ!」と言って、親綱・子綱の17人の僧侶が体全体を使って最大限の力で撞木(しゅもく)を引き、約1分間隔で大鐘を撞きます。大鐘の周りでは数取り役の僧侶が大鐘を撞くタイミングを知らせ、僧侶3人が大鐘が撞かれるごとに五体投地の礼拝(らいはい)を行います。なお知恩院では例年12月の下旬に大鐘を本番さながらに撞く試し撞きが行われています。
大鐘(梵鐘)は江戸時代前期の1636年(寛永13年)に鋳造されました。大鐘は奈良・東大寺(とうだいじ)の梵鐘と京都・方広寺(ほうこうじ)の梵鐘とともに日本三大梵鐘と言われています。大鐘は1922年(大正11年)に相対性理論で知られる理論物理学者・アインシュタインが音の実験を行ったと言われています。なお大鐘が撞かれるのは除夜の鐘と浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の御忌大会(ぎょきだいえ)の時だけだそうです。
大鐘楼は四方の主柱と8本の支柱で大鐘を支えています。大鐘楼は江戸時代前期の1678年(延宝6年)、知恩院第38世・玄誉万無上人(まんむしょうにん)の時代に建立されました。大鐘楼は桁行三間・梁間三間で、本瓦葺の入母屋造です。
五体投地は両手・両膝・額の五体を地面に投げ伏して礼拝することです。五体投地は仏教において最も丁寧な礼拝方法のひとつとされています。
除夜の鐘は中国・宋から伝わった風習とも言われているが、日本独特の風習だそうです。除夜の鐘では大晦日に煩悩を除去し、清らかな心で新年を迎える為、梵鐘を108回撞きます。108は煩悩の数、一年間、また四苦八苦を表すとも言われています。なお一般的に108回の内、107回は大晦日(旧年)に撞き、最後の1回は1月1日(新年)に撞くことが多いそうです。なお煩悩は人の心身を悩まし・乱し・惑わし・汚したりするもので、智慧を妨げるものとも言われています。ちなみに煩悩は6種の根本煩悩・20種の随煩悩などに分類されるそうです。
●知恩院の歴史(創建から現在)を紹介しています。
知恩院歴史(法然上人・徳川家康)
●知恩院の見どころ(御影堂・三門など)を紹介しています。
知恩院見どころ(御影堂・三門など)
【知恩院 歴史・簡単概要】
知恩院(ちおんいん)は平安時代末期の1175年(承安5年)に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が東山・吉水(よしみず)に草庵を結び、専修念仏(せんじゅねんぶつ)を布教したのが起源です。知恩院は当初吉水御坊・大谷禅坊などと称されていました。その後鎌倉時代の1227年(嘉禄3年)に比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の衆徒によって破壊されたが、1234年(文暦元年)に法然上人の弟子・勢観房源智(せいかんぼうげんち)が再興し、第87代・四条天皇から寺号「華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)」を賜りました。しかしその後の火災や応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって焼失しました。安土桃山時代の1575年(天正3年)に第106代・正親町天皇から浄土宗本寺としての承認を受けました。江戸時代初期の1608年(慶長13年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が伽藍を建立し、2代将軍・徳川秀忠と3代将軍・徳川家光が引き継ぎました。なお法然上人は唐の高僧・善導の著作「観経疏」を読み、「南無阿弥陀仏」と一心に声高くた称えることにより、人々が極楽往生できるという専修念仏の思想に開眼しました。
知恩院は浄土宗の総本山です。
*参考・・・京都・知恩院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【知恩院除夜の鐘 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・知恩院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報