千本釈迦堂釿始め2025/1/2(日程時間・・・)
千本釈迦堂釿始め
千本釈迦堂釿始め(日程・時間・・・)を紹介しています。釿始めは例年1月2日に行われています。釿始めは宮大工の年頭儀式で、建築の神とも言われている聖徳太子に一年の無事を祈願します。釿始めでは京きやりが歌われる中、釿始めで使われる木が本堂前に運ばれる御木奉担が行われます。また墨矩の儀・墨打の儀・釿打の儀・三献の儀・清鉋の儀などが行われます。(詳細下記参照)
【千本釈迦堂釿始め 日程時間(要確認)】
千本釈迦堂釿始め2025は2025年(令和7年)1月2日(木曜日)10:00から行われます。(悪天候の場合、中止あり)(現在確認中・要注意)
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【千本釈迦堂釿始め アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町
最寄り駅・バス停・・・上七軒(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から千本釈迦堂は50系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統、203系統
*四条烏丸からは51系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
【千本釈迦堂釿始め 歴史・簡単概要】
千本釈迦堂釿始め(ちょうなはじめ)は宮大工の年頭儀式で、建築の神とも言われている聖徳太子に一年の無事を祈願します。ちなみに釿は木材を粗削りする大工道具で、石器時代から使われていたとも言われています。
釿始めでは先ず京きやり(ゆりもち)が歌われる中、釿始めで使われる木が本堂前に運ばれる御木奉担(おきほうきょ)が行われます。次に神職による祝詞奏上が行われます。その後曲尺(かねじゃく)などで寸法を計る墨矩の儀(すみがねのぎ)・墨壷(すみつび)で線を引く墨打の儀(すみうちのぎ)・釿を振り下ろす釿打の儀(ちょうなうちのぎ)・三献の儀(さんこんのぎ)・槍鉋(やりがんな)で丁寧に削る清鉋の儀(きよがんなのぎ)などが行われます。最後に京きやり(祝い歌)が奉納されます。
聖徳太子は大阪・四天王寺の創建の際、自ら良材を求めて山に入り、建築の神とも言われています。聖徳太子は厩戸皇子(うまやど)・豊聡耳皇子(とよとみみ・とよさとみみ)・上宮(じょうぐう)太子とも言われます。聖徳太子は用明天皇と皇后・穴穂部間人(あなほべのはしひと)の皇子として生まれ、叔母にあたる推古天皇の皇太子・摂政として、内政・外交などの政治に尽力し、冠位十二階・憲法十七条を制定したり、小野妹子(おののいもこ)を遣隋使(けんずいし)として派遣したりしました。また仏教の興隆に尽力し、三経義疏(さんぎょうぎしょ)を著したり、四天王寺・法隆寺(斑鳩寺)・中宮寺(中宮尼寺)・橘寺など七大寺と言われる寺院を創建したりしました。
釿始めはかつて広隆寺で行われていたが、その後千本釈迦堂に場所を移して行われるようになりました。
千本釈迦堂見どころ
【千本釈迦堂 歴史・簡単概要】
千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)・大報恩寺(だいほうおんじ)は1221年(承久3年)に奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡(ふじわらひでひら)の孫で、比叡山で修行した求法上人(ぐほうしょうにん)・義空(ぎくう)が公卿・藤原光隆(ふじわらのみつたか)の従者・岸高(がんこう)の寄進によって創建したと言われています。千本釈迦堂は第87代・四条天皇から倶舎(くしゃ)・天台・真言の三宗兼学を許され、1227年(安貞元年)には現在の本堂(国宝)が建立されました。本堂の建立では大工の棟梁・高次と自害した妻・おかめの伝説が残されています。その後1391年(明徳2年)の明徳の乱や応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火、そして火災などに見舞われたが、本堂だけは焼失を免れ、京洛最古の建造物として国宝に指定されました。江戸時代初期に京都所司代・板倉勝重(いたくらかつしげ)によって真言宗に改められ、智積院(ちしゃくいん)・正玄寿の隠居所になったと言われています。
千本釈迦堂は真言宗智山派の寺院です。
*参考・・・千本釈迦堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【千本釈迦堂釿始め 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
千本釈迦堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報