西七条御旅所奉射祭(日程・時間・・・)
西七条御旅所奉射祭
西七条御旅所奉射祭(日程・時間・・・)を紹介しています。奉射祭は例年1月5日以後の日曜日に行われます。奉射祭は矢で災厄を祓って、1年の無事を祈願します。また裏に鬼と書かれている的に5本の矢を放ち、その当たり具合によって作物の豊凶を占い、五穀豊穣も祈願します。(詳細下記参照)
【西七条御旅所奉射祭2016 日程時間(要確認)】
西七条御旅所奉射祭2016は2016年1月10日(日曜日)10:30から行われます。
【西七条御旅所奉射祭・松尾大社西七条御旅所 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区西七条南中野町81
最寄り駅・バス停・・・七条御前通(徒歩約3分)、西大路七条(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。
*京都駅から松尾大社西七条御旅所は205系統(B3乗り場)御西、208系統(B3乗り場)御西
*四条河原町からは205系統
*四条烏丸からは13系統、特13系統、43系統
*河原町丸太町からは202系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
【西七条御旅所奉射祭 歴史・簡単概要】
西七条御旅所奉射祭(ほうしゃさい)は矢で災厄を祓って、1年の無事を祈願します。また裏に鬼と書かれている的に5本の矢を放ち、その当たり具合によって作物の豊凶を占い、五穀豊穣も祈願します。奉射祭では先ず氏子が神饌が入ったお櫃を本殿前まで運び、その後神饌を供えるなどの神事が行われます。本殿での神事終了後、氏子が的を準備し、神職が矢を放ちます。
【西七条御旅所 歴史・簡単概要】
西七条御旅所(にししちじょうおたびしょ)は起源が明確ではありません。貞観年間(859年~877年)に松尾祭が始まり、1109年(天仁2年)の年中行事秘抄(ねんちゅうぎょうじひしょう)に松尾稲荷共御旅所と記されていることからその頃には既にあったと言われています。なお西七条にはかつて3ヶ所の御旅所があったが、明治時代に松尾大社西七条御旅所にまとめられたそうです。また西七条御旅所はかつて北側にある西蓮寺(さいれんじ)と同じ境内地にあったそうです。
御旅所は神幸祭(おいで)から還幸祭(おかえり)までの期間、祭神を移した神輿を駐輦する場所です。なお松尾祭の際、西七条御旅所では6基の神輿の内の4基の神輿と唐櫃(からびつ)が安置されます。
【松尾大社 歴史・簡単概要】
松尾大社(まつのおたいしゃ・まつおたいしゃ)は起源が明確ではありません。松尾大社は太古の昔、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に生活の守護神として祭神・大山咋神(おおやまぐいのかみ)を祀ったのが起源とも言われています。その後5世紀頃に秦の始皇帝の子孫と称する渡来系氏族・秦氏(はたうじ)が松尾山の神を秦氏一族の総氏神として祀り、開拓に従事したとも言われています。701年(大宝元年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が文武天皇の勅命によって現在の場所に社殿を造営し、知満留女(ちまるめ)を斎女として松尾山山上の磐座に祀られていた神霊を社殿に移して祀りました。その後794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都後、東の賀茂社(上賀茂神社(賀茂別雷神社)・下鴨神社(賀茂御祖神社))とともに「東の厳神・西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置付けられました。承和年間(834年~847年)に神階・従三位、852年(仁寿2年)に神階・正二位、859年(貞観元年)に神階・正一位に叙され、その後に勲一等に叙せられました。その後「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」では名神大社とされ、明神二十二社・上七社では第4位に記されました。なお松尾大社は大山咋神・中津島姫命(なかつしまひめのみこと・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神に祀っています。
*参考・・・京都・松尾大社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【西七条御旅所奉射祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西七条御旅所奉射祭2016は20分ほどで終了しました。
松尾大社西七条御旅所(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
松尾大社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
松尾大社見どころ(本殿・拝殿など)