源師時(みなもとのもろとき)の「長秋記」と祇園祭

源師時の「長秋記」と祇園祭

権中納言・源師時は平安時代(794年~1185年)後期の公卿・歌人で、父・源俊房とともに有職故実に通じ、日記「長秋記」は院政期の朝儀典礼などを知る資料になっています。また「長秋記」には祇園祭なども記されています。

【祇園祭2025 日程】
祇園祭2025は2025年7月1日(火曜日)の吉符入(きっぷいり)から2025年7月31日(木曜日)の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【源師時(みなもとのもろとき)の「長秋記(ちょうしゅうき)」】
権中納言・源師時(みなもとのもろとき)は平安時代(794年~1185年)後期の公卿・歌人で、父・源俊房(みなもとのとしふさ)とともに有職故実(ゆうそくこじ)に通じ、日記「長秋記」は院政期の朝儀典礼などを知る資料になっています。また「長秋記」には祇園祭なども記されています。「長秋記」1133年(長承2年)6月7日の条に「応徳間白河院御三條殿東洞院、彼時御霊会道用四條、然而其後於彼三條殿、故中宮(藤原賢子)崩御、以是故院称不吉例、」と記され、応徳年間(1084年~1087年)に第72代・白河天皇(しらかわてんのう)が三條東洞院殿を御所としていた際、祇園祭の神輿渡御のルートを御所前の三條大路(三条通)から四條大路(四条通)に変更させたが、その為に中宮・藤原賢子(ふじわらのけんし)が亡くなり、ルートの変更は不吉なことだったと記されています。「長秋記」1135年(保延元年)6月7日の条に「鳥羽院(白河院)三條殿東洞院時、御霊会被用四條、可依此例之由、前年当院(鳥羽院)御三條殿之時、有其沙汰、而故院(白河院)仰云、御霊経四條給後、不経幾程、堀河院母后(藤原賢子)崩給、是為身第一歎也、不可用此儀云々、仍無其儀、但其後堀河院治天下間、御堀河院(二條堀河辺)其時小社院自大炊御門西行給、御宇廿一年、太子続位及子孫、是最古吉例歎、但人々不申此旨歎、」と記され、第74代・鳥羽天皇(とばてんのう)が三條東洞院殿にいた時、祇園祭の神輿渡御のルートを変更するのではなく、ルート避けて他の場所に行幸するようになりました。上記の記述には人々を脅かす天変地異などは政治的に失脚し、怨みを残して死んだり、非業の死を遂げたりした者などの死霊(しりょう)=怨霊(おんりょう)の仕業とする御霊信仰(ごりょうしんこう)が背景にあるのかもしれません、
なお第72代・白河天皇の時代(1072年~1086年)から第94代・後二条天皇(ごにじょうてんのう)の時代(1301年~1308年)、平安時代後期から鎌倉時代後期に天皇が祇園祭の神輿渡御のルートを避け、方違行幸を行う慣習があったそうです。

●源師時は平安時代後期の1077年(承暦元年)に左大臣・源俊房(みなもとのとしふさ)と源基平(みなもとのもとひら)の娘の間に次男として生まれました。1088年(寛治2年)に従五位下に叙され、1093年(寛治7年)に左兵衛佐に任ぜられました。1094年(嘉保元年)に従五位上、1096年(永長元年)に正五位下に昇叙され、1097年(承徳元年)に右近衛少将兼五位蔵人に任ぜられました。1099年(康和元年)に従四位下、1102年(康和4年)に従四位上に昇叙され、1106年(嘉承元年)に右近衛中将に任じられ、1107年(嘉承2年)に正四位下に昇叙され、同年に皇后・令子内親王(第74代・鳥羽天皇の准母)の皇后宮権亮にもなりました。1113年(永久元年)に兄弟の仁寛が第74代・鳥羽天皇の暗殺を企てたとされ、伊豆に配流されると父・源俊房と兄・源師頼(みなもとのもろより)とともに一時出仕を止められて昇進が遅滞しました。1121年(保安2年)に父・源俊房が亡くなり、1122年(保安3年)に蔵人頭に任ぜられ、同年に参議になって公卿に列しました。1126年(天治3年)に従三位に昇叙され、1130年(大治5年)に権中納言に昇任し、1135年(保延元年)に正三位に昇叙されました。源師時は父・源俊房を継いで有職故実に通じていました。また詩歌に優れ、和歌が「金葉和歌集」などの勅撰和歌集に20首が入集しました。大江匡房に詩を学んで賞賛されました。更に作庭にも優れ、鳥羽殿の庭園の作庭したと言われています。なお源師時は1136年(保延2年)5月8日に出家して亡くなりました。

【源師時の「長秋記」と祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る