養源院大般若経会(日程・時間・・・)
養源院大般若経会
養源院大般若経会(日程・時間・・・)を紹介しています。大般若経会は例年1月・5月・9月の21日に行われています。大般若経会では家運隆盛・商売繁盛などを祈願します。なお大般若経会では関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が伏見城で信仰していた大聖歓喜天(お聖天さん)の前で大般若経600巻が転読されます。(詳細下記参照)
【養源院大般若経会2018 日程時間(要確認)】
養源院大般若経会2018は2018年1月21日(日曜日)13:30から行われます。
【養源院大般若経会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
最寄り駅・バス停・・・博物館・三十三間堂前(徒歩約5分)、東山七条(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
【養源院大般若経会 歴史・簡単概要】
養源院大般若経会(だいはんにゃきょうえ)では家運隆盛・商売繁盛などを祈願します。
大般若経会では関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が伏見城で信仰していた大聖歓喜天(お聖天さん)の前で大般若経600巻が転読されます。転読では経巻を傾けながらぱらぱらと落とし、経題だけを大声で読み上げます。なお大般若経会終了後、赤飯・お餅・大聖歓喜天のお札が授与されます。大聖歓喜天のお札には家運隆盛・商売繁盛・無病息災・家内安全などのご利益があるとも言われています。
大般若経(大般若波羅蜜多経・だいはんにゃはらみったきょう)は630年頃に三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)がインドから中国に持ち帰り、663年に漢訳して作り上げた経典です。ただ大般若経のサンスクリット本は発見されていないそうです。大般若経は全16部(会)・600巻・字数500万字にも及びます。大般若経は最高の真理である般若(はんにゃ)から見ると全てのものは実体がない空(くう)だと説いているそうです。(諸法皆空の理)なお大般若経には魔をも折伏させる功力があるとも言われています。
大般若経の転読は古くから行われ、第42代・文武天皇の時代である703年(大宝3年)に行われたことが続日本紀(しょくにほんぎ)に記されているそうです。
大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)は頭は象・体は人の姿をした仏法の守護神ともされています。大聖歓喜天には単身像と双身像とがあり、双身像は男天と女天とが向き合って抱擁する姿をしていることから夫婦和合・子宝の神とされ、男女間の悩みを解決する神様とされているそうです。ちなみに大聖歓喜天は歓喜天・大聖歓喜大自在天・大聖歓喜双身天王・象鼻天(ぞうびてん)・天尊(てんそん)とも言われているそうです。
【養源院 歴史・簡単概要】
養源院(ようげんいん)は安土桃山時代の1594年(文禄3年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室・淀殿(よどどの)が父・浅井長政(あざいながまさ)らの21回忌の供養の為に豊臣秀吉に願って、浅井氏の庶流にあたる比叡山(ひえいざん)の天台僧・成伯法印(じょうはくほういん)を開山として創建したのが起源です。養源院は浅井家の菩提寺になりました。養源院の寺号は長政の院号・養源院天英宗清に由来しています。江戸時代前期の1616年(元和2年)に淀殿の妹で、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の正室・お江(おごう・崇源院(すうげんいん))が大坂の陣で自害した淀殿と豊臣秀頼(とよとみひでより)の菩提を弔いました。1619年(元和5年)に落雷による火災によって焼失したが、1621年(元和7年)にお江の願により、伏見城の中の御殿を移して再建され、徳川家の菩提所になりました。1945年(昭和20年)に天台宗から浄土真宗遣迎院派に改められました。なお養源院には徳川秀忠から江戸幕府15代将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)までの江戸幕府歴代将軍の位牌が祀られています。
養源院は浄土真宗遣迎院派の寺院です。
*参考・・・養源院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【養源院大般若経会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
養源院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報