黒川道祐(くろかわどうゆう)の「日次記事」と祇園祭

黒川道祐の「日次記事」と祇園祭

広島藩主・浅野家の典医で、1673年(延宝元年)から京都洛中に住した歴史家・黒川道祐が1685年(貞享2年)に京都を中心とする朝野公私の年中行事を解説した解説書「日次紀事」を記し、祇園祭・鴨川納涼床などが記されています。

【祇園祭2025 日程】
祇園祭2025は2025年7月1日(火曜日)の吉符入(きっぷいり)から2025年7月31日(木曜日)の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【黒川道祐(くろかわどうゆう)の「日次記事(にちじきじ)」】
広島藩主・浅野家の典医(てんい)で、1673年(延宝元年)から京都洛中に住した歴史家・黒川道祐が江戸時代(1603年~1868年)中期の1685年(貞享2年)に京都を中心とする朝野公私の年中行事を解説した解説書「日次紀事」を刊行し、祇園祭・鴨川納涼床(のうりょうゆか)などが記されています。
「日次記事」六月初七日の神事祇園会(祇園祭)に「凡ソ今夜自リ十八日ノ夜ニ至テ四條河原水陸寸地ヲ漏サ不床ヲ並ベ席ヲ設ケ良賤般楽ス。東西ノ茶屋桃燈ヲ張リ行灯ヲ設ケ恰モ白昼ノ如シ。是ヲ涼ミト謂フ」と記され、祇園祭で3基の神輿が八坂神社から御旅所(おたびしょ)に渡御する6月7日から鴨川で神輿を祓い清める神輿洗式(みこしあらい)が行われる6月18日までの夜に四条河原の中州や浅瀬に隙間なく床が並べられて席が設けられ、身分を問わずに人々が楽しんだことが分かります。鴨川両岸(東西)に建ち並ぶ茶屋に燈籠(とうろう)が張られ、行灯(あんどん)が設けられ、白昼(昼間)のようだっだ。これを「涼み」と言っていたそうです。
「日次記事」六月十八日の神事祇園社(八坂神社)神供に「夜ニ入リテ、神輿ヲ洗ヒ、則三社ノ神輿ヲ於神輿屋ニ納ム、其式晦日之夜ノ如シ、四条河原涼ノ床、今夜ニ到テ、則止ム」と記され、6月18日に祇園祭で八坂神社と御旅所の間を渡御した3基の神輿が祓い清められ、神輿屋に収納され、その年の祇園祭が終わったことが分かります。神輿洗式は晦日の夜のようだった。6月7日から四条河原に設けられていた納涼床も6月18日に終了しました。
なお祇園祭はかつて旧暦の5月1日に始まり、5月20日に吉符入り(きっぷいり)、5月末日に神輿洗式、6月6日に前祭のくじ取り式、6月7日に前祭の山鉾巡行・神輿渡御、6月13日に後祭のくじ取り式、6月14日に後祭の山鉾巡行・神輿渡御、6月18日に神輿洗式が行われていました。そして6月7日から6月18日に行われていた祇園祭の神事が鴨川納涼床の起源となり、鴨川納涼床は1650年(慶安3年)頃に始まったとも言われています。

●鴨川納涼床は安土桃山時代(1573年~1603年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が鴨川に架けられていた三条橋・五条橋を架け替えると鴨川沿いが見世物や物売りで賑わい、商人が見物席を設けたり、茶店を出したりしたのが起源とも言われています。その後江戸時代(1603年~1868年)に河岸の石垣が整備され、茶店が組織化されると河原の涼みと言われました。
●黒川道祐は1623年(元和9年)に広島藩主・浅野光晟(あさのみつあきら)の典医・黒川光信(くろかわみつのぶ・寿閑)と堀杏庵(ほりきょうあん)の娘の息子として安芸国(広島県)で生れました。黒川家は平将門(たいらのまさかど)の乱を平定した藤原秀郷(ふじわらのひでさと)を祖先とし、滋賀県甲賀郡土田町黒川に住したことから黒川と称したも言われています。父に医学を学び、儒学者・林羅山(はやしらざん)とその子・林鵞峰(はやしがほう)に儒学を学びました。また母方の祖父・堀杏庵にも学びました。黒川家を継いで父と同じように広島藩主・浅野家に典医として仕えました。医師・武田信成(たけだのぶなり)の娘と結婚し、長男・武田信郷(たけだのぶさと・叔安)が生れました。1663年(寛文3年)に日本初の医学史書「本朝医考(ほんちょういこう)」を記しました。その後1673年(延宝元年)に浅野家の典医を辞して京都洛中に住し、著述に専念しました。本草家・貝原益軒(かいばらえっけん)らと交友し、近畿一円を旅しました。1684年(貞享元年)に山城国(京都)に関する最初の総合的地誌「雍州府志(ようしゅうふし)」、翌1685年(貞享2年)に京都などの年中行事を解説した解説書「日次紀事」を記しました。また「芸備国郡志(あきこくぐんし)」・「遠碧軒随筆(えんへきけんずいひつ)」・「近畿游覧誌稿(きんきゆうらんしこう)」なども記しました。黒川道祐は独自の史観により、地誌・医学史に功績を残しました。なお黒川道祐は1691年(元禄4年)12月23日に亡くなりました。墓は京都府京都市上京区の本隆寺にあります。

【黒川道祐の「日次記事」 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

関連記事

スポンサーリンク(Sponsor Link)

京都観光おすすめ

  1. 長刀鉾

    京都7月のイベント・行事(祇園祭・山鉾巡行・・・)

  2. 大文字

    京都8月のイベント・行事(五山送り火・・・)

スポンサーリンク(Sponsor Link)

ページ上部へ戻る