フィギュアスケーター・ファン御用達(晴明神社・・・)
フィギュアスケーター・ファン御用達
フィギュアスケーター・ファン御用達の神社が晴明神社・白峯神宮・護王神社です。2018年のお正月に京都出身で、平昌オリンピック・フィギュアスケート女子シングル代表・宮原知子選手が初詣に晴明神社・白峯神宮・護王神社を訪れたことがニュースになりました。ちなみに晴明神社は同男子シングル代表・羽生結弦選手も参拝したことがあり、護王神社にはファンが怪我の回復を祈願する為に参拝しているそうです。
【晴明神社・白峯神宮・護王神社】
●晴明神社は陰陽師・安倍晴明を祀り、魔除け・厄除けのご利益があるとも言われています。五芒星は陰陽道の基本概念(陰陽五行説)木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表し、魔除けのご利益があるとも言われています。また厄除桃を撫でると厄が桃に移り、厄除けになると言われています。
●白峯神宮はスポーツの守護神・武道上達の神・上昇気運の神とされています。地主社(じしゅしゃ)に祀られる精大明神(せいだいみょうじん)は蹴鞠の守護神で、現在は球技全般、そしてスポーツの守護神とされています。なお白峯神宮では蹴鞠保存会が蹴鞠を奉納したりしています。
●護王神社は足腰の守護神とされています。祭神・和気清麻呂(わけのきよまろ)は道鏡事件で鹿児島県に流される際、足萎えで立つことができなかったが、いのししの守護によって歩けるようになり、足腰の守護神とされています。護王神社には狛犬の代わりに狛猪が置かれています。
【晴明神社 歴史・簡単概要】
晴明神社(せいめいじんじゃ)は1007年(寛弘4年)に第66代・一条天皇の命により、1005年(寛弘2年)に亡くなった陰陽師・安倍晴明の遺業を讃え、その屋敷跡に社殿を造営したのが起源と言われています。ちなみに安倍晴明は第8代・孝元天皇の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の御後胤とも言われ、天体の星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てたとも言われています。晴明神社は当初東は堀川通・西は黒門通・北は元誓願寺通・南は中立売通という広大な社地を有していたが、度重なる兵火や関白・豊臣秀吉の命によって社地は縮小し、社殿も荒廃しました。幕末以降氏子が中心になって社殿を整備し、1950年(昭和25年)には社地も拡張されました。なお晴明神社は安倍晴明御霊神を祀り、魔除け・厄除けのご利益があるとも言われています。
晴明神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
【白峯神宮 歴史・簡単概要】
白峯神宮(しらみねじんぐう)は藤原北家師実流(花山院家)の一つで、蹴鞠・和歌の宗家であった飛鳥井(あすかい)邸があった場所です。白峯神宮は1868年(明治元年)に第122代・明治天皇が父である第121代・孝明天皇の遺志を継承し、讃岐の白峯陵から第75代・崇徳天皇の霊を移して造営しました。崇徳上皇(崇徳天皇)は皇位継承問題や摂関家の内紛により、第77代・後白河天皇と対立した1156年(保元元年)の保元の乱に敗れて讃岐に配流され、二度と京都に戻ることなく1164年(長寛2年)に46歳で崩御しました。その後1874年(明治6年)に淡路島の淡路陵から第47代・淳仁天皇(廃帝・淡路廃帝)の霊を移して合祀しました。淳仁天皇は孝謙上皇(第46代・孝謙天皇及び第48代・称徳天皇)が寵愛する僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を排除しようとし、孝謙上皇と対立した764年(天平宝字8年)の藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の乱で廃位されて淡路に配流され、765年(天平神護元年)に32歳で崩御しました。
白峯神宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
【護王神社 歴史・簡単概要】
護王神社(ごおうじんじゃ)・いのしし神社は桓武天皇に平安京遷都を進言した和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀った神護寺(じんごじ)内の護王善神堂が起源です。1851年(嘉永4年)孝明天皇は和気清麻呂に「正一位護王大明神」の神階神号を授け、1874年(明治7年)には護王善神堂を護王神社に改めました。その後1886年(明治19年)明治天皇の勅命により、京都御苑蛤御門前付近の中院家の邸宅跡に移されました。なお和気清麻呂は弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が天皇になろうとした宇佐八幡宮神託事件で野望を挫き、皇統を守って流罪なりました。和気清麻呂は道鏡の刺客に襲われ、突如現われた猪によって救われたとの伝説から護王神社では狛犬の代わりに狛猪が置かれています。
護王神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報