法住寺義士会法要2024年12月14日(日程時間・・・)赤穂義士

法住寺

法住寺義士会法要

法住寺義士会法要(日程・時間・・・)を紹介しています。義士会法要は毎年赤穂義士(赤穂浪士・四十七士)が討ち入りした12月14日に行われています。義士会法要では赤穂義士の木像前で法要が行われます。法要後、焼香を行うこともできるそうです。なお義士会法要では舞妓による献茶式や島原の太夫による太夫道中も行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【法住寺義士会法要2024 日程時間(要確認)】
法住寺義士会法要2024は2024年(令和6年)12月14日(土曜日)10:30から行われます。例年、書院でお茶席が設けられ、境内で討ち入りそばの供養が行われています。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法住寺ホームページ

【法住寺義士会法要 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655
最寄り駅・バス停・・・博物館・三十三間堂前(徒歩約5分)、東山七条(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から法住寺は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約10分)

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【法住寺義士会法要 歴史・簡単概要】
法住寺義士会法要(ぎしえほうよう)は赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)が山科から祇園・島原(嶋原)などの花街への行き帰りに法住寺に立ち寄り、本尊・身代わり不動明王(身代不動)に仇討ちを祈願したとも言われている縁に因んで、内蔵助ら赤穂義士(赤穂浪士・四十七士)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)邸に討ち入りした12月14日に行われます。ちなみに法住寺には赤穂義士の木像が安置されています。
義士会法要では赤穂義士の木像前で法要が行われます。法要後、焼香を行うこともできるそうです。また義士会法要では舞妓による献茶式や島原の太夫による太夫道中も行われます。更にお茶席も設けられ、討ち入りそばの接待(有料)も行われます。(要確認)
赤穂事件(あこうじけん)は旧暦の1701年(元禄14年)3月14日(新暦の1701年(元禄14年)4月21日)、赤穂藩藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が高家・吉良上野介に江戸城松の大廊下で斬り掛かったことが発端です。内匠頭は幕府が朝廷の使者を接待していたこともあり、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の命により、即日切腹となり、赤穂藩も取り潰しが決定しました。なお内匠頭が切り掛かった理由は「この間の遺恨」で、具体的な理由は明確ではありません。
赤穂義士による吉良邸への討ち入りは旧暦の1702年(元禄15年)12月14日(新暦の1703年(元禄16年)1月30日)に行われました。討ち入り後は吉良の首を泉岳寺の内匠頭の墓前に供え、寺坂吉右衛門を除き、幕府に報告・出頭しました。その後赤穂義士は細川越中守綱利・松平隠岐守定直・毛利甲斐守綱元・水野監物忠之の4家に一時お預けになったが、旧暦の1703年(元禄16年)2月4日(新暦の703年(元禄16年)3月20日)に切腹となりました。なお赤穂義士は内匠頭と同じ泉岳寺に埋葬され、1739年(元文4年)に墓が建てられました。
大石内蔵助は大石家の親族で、近衛家家臣・進藤長之の支援により、1701年(元禄14年)7月から1702年(元禄15年)9月まで山科・大石神社近くに住居を構えていました。
島原や祇園(祇園甲部・祇園東)は上七軒・先斗町・宮川町と合わせ、六花街と言われました。ちなみに祇園にある一力亭は大石内蔵助が通ったことで知られています。

【法住寺 歴史・簡単概要】
法住寺(ほうじゅうじ)は989年(永祚元年)に太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が妻と第65代・花山天皇の女御だった娘・藤原し子(弘徽殿(こきでんの)の女御)の菩提を弔う為に創建したのが起源と言われています。985年(寛和元年)6月に妻、7月に娘が相次いで亡くなったそうです。その後1032年(長元5年)の火災によって焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が法住寺跡に離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を営み、1160年(永暦元年)に新日吉神社、1163年(長寛元年)に三十三間堂(蓮華王院)が創建され、1176年(安元2年)に後白河上皇の女御・建春門院(平滋子(たいらのしげこ))が亡くなると建春門院の御陵として法華堂が建立されました。しかし1183年(寿永2年)に木曽義仲によって焼き討ちされ、1192年(建久3年)に後白河上皇が亡くなると新たに法華堂が建立され、上皇の御陵に定められました。その後三十三間堂の本坊で、天台三門跡に数えられた妙法院門跡(みょうほういんもんぜき)の院家として、法住寺陵と妙法院歴代門跡法親王の墓を守ってきました。
法住寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・法住寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【法住寺義士会法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
法住寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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