神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳2025年5月13日~15日
神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳
神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳(日程・時間・・・)を紹介しています。五大虚空蔵菩薩像御開帳は例年5月13日~15日に行われています。五大虚空蔵菩薩像御開帳では多宝塔に安置されている5体の虚空蔵菩薩像(国宝)が特別公開されます。五大虚空蔵菩薩像は836年(承和3年)から835年(承和12年)の間に造仏されたと言われています。(詳細下記参照)
【神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳2025 日程時間(要確認)】
神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳2025は2025年(令和7年)5月13日(火曜日)~15日(木曜日)10:00~15:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・神護寺ホームページ
【神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
最寄り駅・バス停・・・山城高雄(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅・四条大宮からは高雄京北線 栂ノ尾・周山行き
西日本JRバス・アクセスダイヤ
【神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳 歴史・簡単概要】
神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳(ごだいこくうぞうぼさつぞうごかいちょう)・多宝塔特別拝観は例年5月13日~15日に行われています。なお五大虚空蔵菩薩像御開帳は春だけでなく、秋にも行われています。
五大虚空蔵菩薩像御開帳では多宝塔に安置されている5体の虚空蔵菩薩像(国宝)が特別公開され、祈願法要が行われます。五大虚空蔵菩薩像は平安時代前期の836年(承和3年)から835年(承和12年)の間に第54代・仁明天皇の発願により、真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の十大弟子・真済(しんぜい)が造仏したと言われています。ちなみに5体揃った最古の五大虚空菩薩像とも言われているそうです。五大虚空蔵菩薩像は5体とも像高約90センチメートルで、ほぼ同形の坐像だが、手の形や持物だけが異なります。なお五大虚空蔵菩薩像は乾漆で5色に彩色され、中尊・法界虚空蔵(ほっかいこくうぞうぼさつ)が白色、東方・金剛虚空蔵(こんごうこくうぞうぼさつ)が黄色、南方は宝光虚空蔵(ほうこうこくうぞうぼさつ)が緑色、西方・蓮華虚空蔵(れんげこくうぞうぼさつ)が赤色、北方・業用虚空蔵(ごうようこくうぞうぼさつ)が黒色です。彩色は9世紀末に塗り直された記録があり、当初のものではありません。
五大虚空蔵菩薩像はかつては中尊を中心に東西南北に配置され、立体曼荼羅を構成していたが、現在は横一列に配置されています。ちなみに五大虚空蔵菩薩は金剛界曼陀羅(こんごうかいまんだら)の五智如来(ごちにょらい・五大如来)を表しているとも言われています。
多宝塔は1934年(昭和9年)に実業家・帝国議会議員である山口玄洞(やまぐちげんどう)の寄進により、安井猶次郎が設計して建立されました。
【神護寺 歴史・簡単概要】
神護寺(じんごじ)は平安時代前期の824年(天長元年)に和気清麻呂(わけのきよまろ)の五男・和気真綱(わけのまつな)と六男・和気仲世(わけのなかよ)の要請により、いずれも和気氏の私寺であった神願寺と高雄山寺が合寺し、名称を神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)と改めたのが起源です。ちなみに神願寺は奈良時代の781年(天応元年)に和気清麻呂が河内に創建したとも言われているが、その場所は明確ではありません。高雄山寺も同じ頃に創建され、白雲寺・月輪寺・日輪寺・伝法寺とともに愛宕五寺(愛宕五坊)とも言われました。高雄山寺は天台宗の開祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)や真言宗の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)を相次いで招き、その後一切を弘法大師・空海に付嘱し、真言宗の寺院になりました。その後いずれも弘法大師・空海の十大弟子である実慧(じちえ・実恵)・真済(しんぜい)が別当(住職)になったが、994年(正暦5年)と1149年(久安5年)に火災に見舞われ、鳥羽法皇(第74代・鳥羽天皇)の怒りに触れて全山壊滅状態になったとも言われています。その後平安時代末期に文覚(もんがく・遠藤盛遠(えんどうもりとお))が再興しました。
神護寺は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・神護寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【神護寺五大虚空蔵菩薩像御開帳 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
神護寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
京都5月のイベント・行事