禅居庵御開帳大祭2025年10月20日(日程時間・・・)
禅居庵御開帳大祭
禅居庵御開帳大祭(日程・時間・・・)を紹介しています。御開帳大祭は例年10月20日に行われています。御開帳大祭では普段非公開の秘仏・摩利支尊天(摩利支天像)が1年に1度御開帳されます。摩利支尊天は清拙正澄禅師・大鑑禅師が中国から来日する際、自ら刻んだ摩利支尊天を袈裟に包んで持参したと言われています。(詳細下記参照)
【禅居庵御開帳大祭2025 日程時間(要確認)】
禅居庵御開帳大祭2025は2025年(令和7年)10月20日(月曜日)11:00から行われます。過去のタイムテーブルは11:00から開山大鑑襌師毎歳忌法要、13:00からご開帳大祭、14:00から採燈大護摩供です。(現在確認中・要注意)
*参考・・・禅居庵ホームページ
【禅居庵御開帳大祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町146
最寄り駅・バス停・・・東山安井(徒歩約7分)、清水道(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは100系統(D1乗り場)清、206系統(D2乗り場)東清
*四条河原町からは207系統東清
*四条烏丸からは207系統東清
*河原町丸太町からは202系統東清
路線・時刻表・運賃チェック
【禅居庵御開帳大祭 歴史・簡単概要】
禅居庵御開帳大祭(ごかいちょうたいさい)では普段非公開の秘仏・摩利支尊天(摩利支天像)が1年に1度御開帳されます。摩利支尊天は清拙正澄禅師(せいせつしょうちょうぜんじ)・大鑑禅師(だいかんぜんじ)が中国から来日する際、自ら刻んだ摩利支尊天を袈裟に包んで持参したと言われています。摩利支尊天は顔は天童女で、頭に宝冠・体に甲冑を着け、7頭の金色の猪に乗っています。
御開帳大祭では開山大鑑襌師毎歳忌法要・ご開帳大祭が行われます。また聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)出仕採燈大護摩供が行われます。(要確認)聖護院門跡の僧侶が法螺貝を鳴らしながら歩き、禅居庵の前に西側にある恵美須神社(ゑびすじんじゃ・えびすじんじゃ)に立ち寄ります。
聖護院・聖護院門跡は1090年(寛治4年)白河上皇が熊野三山を参詣する熊野御幸の際、先達を務めた増誉大僧正(ぞうよだいそうじょう)が常光寺を賜り、聖体護持の二字から聖護院としたのが起源です。
恵美須神社・京都ゑびす神社・京のえべっさんは1202年(建仁2年)に臨済宗の宗祖・明庵栄西禅師(みんなんえいさいぜんじ・みんなんようさいぜんじ)が建仁寺(けんにんじ)を創建した際、建仁寺の鎮守として造営されたと言われています。
【禅居庵 歴史・簡単概要】
禅居庵(ぜんきょあん)は鎌倉時代末期の元弘年間(1331年~1333年)に信濃守護で、信濃小笠原氏当主・小笠原貞宗(おがさわらさだむね)が元(中国)からの渡来僧(臨済宗の僧)である清拙正澄禅師(せいせつしょうちょうぜんじ)・大鑑禅師(だいかんぜんじ)を開山として創建したと言われています。清拙正澄禅師・大鑑禅師将来の摩利支天像(日本三大摩利支天)は鎮守・秘仏として祀られています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などや1536年(天文5年)の天文の大火で焼失しました。戦国時代の1547年(天文16年)に織田信長(おだのぶなが)の父・織田信秀(のぶひで)が摩利支天堂を再建し、1597年(慶長2年)に進月正精(しんげつしょうせい)が再興しました。元禄年間(1688年~1704年)・享保年間(1716年~1736年)・安政年間(1855年~1860年)に整備や大改修が行われました。なお1911年(明治44年)に現在の建物が再建されたが、1973年(昭和48年)に本堂を焼失しました。
禅居庵は臨済宗大本山建仁寺の塔頭です。
*参考・・・禅居庵(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【禅居庵御開帳大祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
禅居庵(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報