西本願寺御正忌報恩講2018/1/9~16

西本願寺御正忌報恩講

西本願寺御正忌報恩講(日程・時間・・・)を紹介しています。御正忌報恩講は毎年1月9日から16日まで行われています。御正忌報恩講は親鸞聖人のご恩を偲ぶ法要で、浄土真宗本願寺派の最大の法要と言われています。なお御正忌報恩講では御影堂で親鸞聖人(しんらんしょうにん)が作ったお経・念仏正信偈(ねんぶつしょうしんげ)が唱えられます。(詳細下記参照)

【西本願寺御正忌報恩講2018 日程時間(要確認)】
西本願寺御正忌報恩講2018は2018年1月9日(火曜日)~16日(火曜日)まで行われます。

【西本願寺御正忌報恩講 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60
最寄り駅・バス停・・・西本願寺前(徒歩すぐ)

市バスのアクセス路線は次の通りです。
*京都駅から西本願寺は9系統(B1乗り場)、28系統(D3乗り場)、50系統(B2乗り場)、75系統(C5乗り場)
*四条堀川からは9系統
*堀川丸太町からは9系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

*JR西日本の場合、最寄り駅は京都駅(徒歩約15分)
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は五条駅(徒歩約15分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は大宮駅(徒歩約20分)

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【西本願寺御正忌報恩講 歴史・簡単概要】
西本願寺御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)は浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の33回忌の際、西本願寺第3代・覚如(かくにょ)が遺徳を讚仰する為に報恩講私記を作り、報恩講を営んだのが起源と言われています。御正忌報恩講は親鸞聖人のご恩を偲ぶ法要で、浄土真宗本願寺派の最大の法要と言われています。
御正忌報恩講では御影堂(ごえいどう)で親鸞聖人が作ったお経・念仏正信偈(ねんぶつしょうしんげ)が唱えられます。
親鸞聖人は1173年(承安3年)5月21日(旧暦の1173年(承安3年)4月1日)に父・日野有範(ひのありのり)の子として生まれ、1181年(養和元年)に9歳で青蓮院・慈鎮(慈円)の元で出家・得度し、比叡山延暦寺で20年間修行を続け、浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の導きよって浄土教に帰依し、その後浄土真宗の教義を体系化した「教行信証」などを記し、1263年(弘長3年)1月16日(旧暦の1262年(弘長2年)11月28日)に90歳で亡くなりました。
御影堂(国宝)は1636年(寛永13年)に再建され、内陣には親鸞聖人坐像を安置しています。ちなみに御影堂は南北に約62メートル・東西に約48メートル・高さ約29メートルで、江戸時代初期の木造建物としては日本最大と言われています。

【西本願寺 歴史・簡単概要】
西本願寺(にしほんがんじ)・龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)は鎌倉時代の1272年(文永9年)に浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の末娘・覚信尼(かくしんに)が東山鳥辺野北大谷(元大谷)の石塔に納められていた親鸞聖人の遺骨を改葬し、東山吉水北に六角の廟堂を建立して親鸞聖人の影像(えいぞう)を安置したのが起源です。覚信尼は廟堂の守護をする留守職(るすしき)に就き、以後覚信尼の子孫が門弟の了承を得て就任しました。西本願寺は当初専修寺(せんじゅじ)と号していたが、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の抗議により、1321年(元亨元年)に寺号を本願寺に改めました。その後西本願寺は度々移り、1582年(天正10年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から大坂天満の土地を寄進されて移り、更に1591年(天正19年)に豊臣秀吉から京都堀川六条の土地を寄進されて移りました。江戸時代初期の1602年(慶長7年)に本願寺第11世宗主・顕如(けんにょ)の長男で、東本願寺第12代法主・教如(きょうにょ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地を寄進され、西本願寺の東に東本願寺を創建しました。なお西本願寺は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山です。
*参考・・・西本願寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ西本願寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【西本願寺御正忌報恩講 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西本願寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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