高山寺明恵上人命日忌法要2025年1月19日(日程時間・・・)
高山寺明恵上人命日忌法要
高山寺明恵上人命日忌法要(日程・時間・・・)を紹介しています。明恵上人命日忌法要は例年1月19日に行われています。明恵上人命日忌法要は命日に明恵上人を偲ぶ法要です。明恵上人命日忌法要では先ず開山堂で法要が行われ、その後開山堂の上にある墓所でも法要が行われます。参拝者も焼香することができます。(要確認)(詳細下記参照)
【高山寺明恵上人命日忌法要2025 日程時間(要確認)】
高山寺明恵上人命日忌法要2025は2025年(令和7年)1月19日(日曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・高山寺ホームページ
【高山寺明恵上人命日忌法要 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
最寄り駅・バス停・・・栂ノ尾(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅・四条大宮から高山寺は高雄京北線 栂ノ尾・周山行き
西日本JRバス・アクセスダイヤ
【高山寺明恵上人命日忌法要 歴史・簡単概要】
高山寺明恵上人命日忌法要(みょうえしょうにんめいにちきほうよう)は明恵上人の命日に明恵上人を偲ぶ法要です。
明恵上人命日忌法要では先ず開山堂で法要が行われます。その後開山堂上にある明恵上人の墓所・御廟でも法要が行われます。御廟の覆屋の中には五輪塔を収められているそうです。恵上人命日忌法要では参拝者も焼香することができます。(要確認)なお明恵上人命日忌法要では鎌倉時代に造られた明恵上人坐像(重要文化財)も開扉されます。
明恵上人は平安時代末期から鎌倉時代の華厳宗の僧で、高山寺中興の祖とも、華厳中興の祖とも言われています。明恵上人は1173年(承安3年)2月21日(旧暦の1173年(承安3年)1月8日)に父・平重国と母・湯浅宗重の娘の子として生まれ、1181年(養和元年)に神護寺で叔父・上覚(じょうかく)を師事し、1188年(文治4年)に出家して東大寺戒壇院で具足戒を受け、「摧邪輪(ざいじゃりん)」・「華厳仏光三昧観秘宝蔵(けごんぶっこうざんまいかんひほうぞう)」・「華厳唯心義(けごんゆいしん)」などを記しました。また明恵上人は40年の夢想を記録した「夢記」も記しました。
開山堂は明恵上人が晩年を過ごし、終焉の地とも言われています。開山堂は明恵上人坐像を安置しています。なお開山堂では命日忌法要だけでなく、1月8日に生誕会(たんじょうえ)も行われています。
高山寺見どころ
【高山寺 歴史・簡単概要】
高山寺(こうざんじ・こうさんじ)は774年(宝亀5年)に第49代・光仁天皇の勅願によって創建され、神願寺都賀尾坊(じんがんじとがのおぼう)と称したのが起源とも言われています。814年(弘仁5年)に神願寺都賀尾坊から都賀尾十無尽院(とがのじゅうむじんいん)に名称を改めました。平安時代後期に神護寺(じんごじ)の別院になり、神護寺十無尽院(じんごじじゅうむじんいん)と称されました。ちなみに神護寺は824年(天長元年)に和気清麻呂(わけのきよまろ)の五男・真綱(まつな)と六男・仲世(なかよ)の要請により、いずれも和気氏の私寺であった神願寺と高雄山寺が合寺し、神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)に名称を改めたのが起源です。その後1206年(建永元年)に明恵上人(みょうえしょうにん)が後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)の院宣により、神護寺十無尽院を賜り、華厳宗の根本道場として再興しました。高山寺の名称は後鳥羽上皇から賜った勅額「日出先照高山之寺(日、出でて、まず高き山を照らす)」に由来しています。なお高山寺は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
高山寺は真言宗系の単立の寺院です。
*参考・・・高山寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【高山寺明恵上人命日忌法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
高山寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報