法金剛院椿見ごろ2025(2月上旬~4月上旬頃)
法金剛院椿見ごろ(見頃)
法金剛院椿見ごろ(イベント・・・)を紹介。風折・黒椿・紅獅子椿・乙女椿・酒天童子(しゅてんどうじ)などの椿が植えられています。椿が苔むした地表に落ちている光景に風情があるとも言われています。なお法金剛院は関西花の寺二十五カ所の第13番札所で、4月には椿と桜が一緒に見られることもあります。(詳細下記参照)
【法金剛院椿見ごろ(例年時期)】
法金剛院の椿見ごろは例年2月上旬頃から4月上旬頃です。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都椿名所・見ごろ
【法金剛院椿見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区花園扇野町49
最寄り駅・バス停・・・花園扇野町(徒歩約2分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条烏丸から法金剛院は91系統
*河原町丸太町からは93系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は花園駅(徒歩約5分)
【法金剛院椿見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
法金剛院は京都で良く知られている椿の名所です。法金剛院の椿見ごろは例年2月上旬頃から4月上旬頃です。
法金剛院には風折(かざおれ)・黒椿(くろつばき)・紅獅子椿(こうじしつばき)・乙女椿(おとめつばき)・酒天童子(しゅてんどうじ)などの椿が植えられています。椿が苔むした地表に落ちている光景に風情があるとも言われています。なお法金剛院は関西花の寺二十五カ所の第13番札所で、4月には椿と桜が一緒に見られることもあります。
風折は中輪で、一重のラッパ咲きです。風折は淡桃色地に紅色の大小の縦絞りが入ります。なお風折は古くから関西で栽培されています。
黒椿は中輪で、八重咲きです。黒椿は新芽や若芽も黒紅味を帯びています。黒椿は江戸時代から栽培されています。
紅獅子椿は中輪で、唐子咲きです。紅獅子椿は花芯に不規則に密生し、外弁からこぼれ。るように咲きます。
乙女椿は中輪で、八重咲きです。乙女椿は円頭形のピンク色の花びらが整然と重なっています。乙女椿は江戸時代から栽培されています。
酒天童子は大輪で、八重咲きです。酒天童子は朱紅色で、花心が変化しやすく、筒しべになったりします。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。
【法金剛院 歴史・簡単概要】
法金剛院(ほうこんごういん)は平安時代前期の830年(天長7年)頃に右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)が造営した山荘があった場所です。法金剛院は837年(承和4年)の清原夏野の死後に山荘が寺院に改められ、双丘寺(ならびおかでら)と称したのが起源です。858年(天安2年)に第55代・文徳天皇の発願によって伽藍が整備され、天安寺に寺号を改め、定額寺(じょうがくじ)に列せられました。その後衰退し、1130年(大治5年)に第74代・鳥羽天皇の中宮で、第75代・崇徳天皇と第77代・後白河天皇の母である待賢門院(たいけんもんいん・藤原璋子(ふじわらのしょうし))の御願により、融通念仏の円覚上人(えんがくしょうにん)が再興し、法金剛院に寺号を改められました。中央に池が掘られ、池の西側に西御堂(丈六阿弥陀堂)、南側に南御堂、東側に女院の寝殿(待賢門院の御所)が建てられていました。その後応仁の乱や度々災害に見舞われたそうです。江戸時代前期の1617年(元和3年)に照珍(しょうちん)和尚が現在の本堂などを再建しました。なお法金剛院は平安時代後期に造仏され、丈六阿弥陀堂の本尊とも言われている丈六の本尊・阿弥陀如来坐像(重要文化財)を本堂に安置しています。
法金剛院は律宗の寺院です。
*参考・・・法金剛院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【法金剛院椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
法金剛院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報