吉祥院天満宮雷除祭(日程・時間・・・)

吉祥院天満宮雷除祭

吉祥院天満宮雷除祭

吉祥院天満宮雷除祭(日程・時間・・・)を紹介しています。雷除祭は例年6月1日に行われています。雷除祭では落雷が多くなる梅雨シーズン前に雷除けを祈願します。雷除祭では本殿で修祓・祝詞奏上・鈴祓い・玉串奉奠などの神事が行われます。なお雷除祭ではゴルフ・登山者の安全にご利益があるとも言われている桑の葉のお守りや雷除け神札が授与されます。(詳細下記参照)

【吉祥院天満宮雷除祭2016 日程時間(要確認)】
吉祥院天満宮雷除祭2016は2016年6月1日(水曜日)6:00から行われます。

【吉祥院天満宮雷除祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市南区吉祥院政所町3
最寄り駅・バス停・・・吉祥院天満宮前(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは42系統(C4乗り場)
*四条烏丸からは43系統
路線・時刻表・運賃チェック

*JR東海道線の場合、最寄り駅は西大路駅(徒歩約15分)

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【吉祥院天満宮雷除祭 歴史・簡単概要】
吉祥院天満宮雷除祭(かみなりよけまつり)では落雷が多くなる梅雨シーズン前に雷除けを祈願します。ちなみに雷雨は6月・7月の梅雨シーズンに多く、6月は鳴雷月とも言われているそうです。なお雷除祭ではゴルフ・登山者などの安全にご利益があるとも言われている桑の葉のお守りや雷除け神札が授与されます。
雷除祭では本殿で修祓(しゅばつ)・祝詞奏上・鈴祓い・玉串奉奠(たまぐしほうてん)などの神事が行われます。
桑はクワ科クワ属の落葉性高木です。桑はかつて養蚕が盛んに行われていた頃、たくさん栽培されていました。なお桑は雷除けの「桑原 桑原(くわばら くわばら)」がよく知られています。雷が桑原村の井戸に落ちた際、井戸に蓋をされて逃げられなくなり、桑原村にはもう落ちないから逃がしてくれと約束したのが由来とも言われています。
祭神・菅原道真は大宰府に左遷されて亡くなった後、930年(延長8年)7月24日(旧暦の6月26日)に御所・清涼殿(せいりょうでん)に落雷があり、道真の動向を監視するように左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)から命じられていた藤原清貫が即死したこともあり、道真の怨霊は雷神とされたが、旧所領・桑原には落ちなかったとも言われ、雷除けの「桑原 桑原(くわばら くわばら)」の由来になったとも言われています。なお道真は899年(昌泰2年)右大臣に任命されるが、901年(延喜元年)藤原時平の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に亡くなりました。道真の死後、都では悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為道真の死後20年目に朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈りました。993年(正暦4年)には正一位・右大臣・太政大臣を追贈しました。
天神は祭神・菅原道真の神号とされているが、天界の神で雷・雨・水などと結びつけられて荒ぶる神ともされています。

【吉祥院天満宮 歴史・簡単概要】
吉祥院天満宮(きっしょういんてんまんぐう)・吉祥院の天神さんは794年(延暦13年)桓武天皇による平安京遷都の際、菅原道真(すがわらのみちざね)の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)が天皇から賜って邸を構えた場所です。その後道真の祖父・菅原清公(すがわらのきよきみ)が遣唐使として唐に向かう際に嵐に遭ったが、吉祥天女の霊験によって難を逃れ、菅原家では吉祥天を信仰するようになり、自邸内を吉祥院に改めました。なお道真が左遷された大宰府で亡くなり、吉祥院に聖廟を築いたが、934年(承平4年)朱雀天皇の勅願により、怨霊鎮魂の為に社殿を築き、道真の霊を祀りました。
*参考・・・吉祥院天満宮

【吉祥院天満宮雷除祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
雷除祭では早朝朝がゆの無料接待も行われます。(要確認)
吉祥院天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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