吉田神社節分祭-2025年の節分は2月2日(日程時間・・・)
吉田神社節分祭
吉田神社節分祭(日程・時間・・・)を紹介しています。節分祭は例年節分(立春の前日)とその前日・後日に行われています。節分祭では節分当日とその前日に約800店の屋台露店が立ち並びます。(要確認)節分祭の追儺式は古式に則って行われ、方相氏が悪鬼を追い払う呪力を持つ桃弓から葦矢を放って鬼を払います。(詳細下記参照)
【吉田神社節分祭2024 日程時間(要確認)】
吉田神社節分祭2024は2024年(令和6年)2月2日(金曜日)~4日(日曜日)に行われます。例年2月2日・3日に約800店の屋台露店が立ち並びます。(現在確認中・要注意)
【吉田神社節分祭 過去のイベント(要確認)】
★2日8:00から節分前日祭・疫神祭、18:00から追儺式(鬼やらい神事)が行われます。
★3日8:00から節分当日祭、23:00から火炉祭が行われます。
★4日9:30から節分後日祭が行われます。
*参考・・・吉田神社ホームページ
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2025
【吉田神社節分祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区吉田神楽岡町30番地
最寄り駅・バス停・・・京大正門前(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から吉田神社は206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは31系統、201系統
*四条烏丸からは31系統、201系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄鴨東線の場合、最寄り駅は出町柳駅(徒歩約20分)
【吉田神社節分祭 歴史・簡単概要】
吉田神社節分祭(せつぶんさい)は室町時代から行われ、京洛の一大行事とも言われました。節分祭は例年節分(立春の前日)とその前日・後日の3日間に行われています。(節分は毎年2月3日ではなく、変動する場合があります。)節分祭では厄除け・招福を祈願します。なお節分祭では厄除の祈願や古くから魔除けの力があると言われている梔子色(くちなし色)の御神札を求め、例年約50万人の参拝者が訪れるとも言われています。
節分祭では節分とその前日に約800店の屋台露店が立ち並びます。(要確認)また鬼も出没します。節分祭では節分の前日に節分前日祭・疫神祭(やくがみさい)・追儺式(ついなしき・鬼やらい神事)、節分に節分当日祭・火炉祭、節分の後日に節分後日祭が行われます。なお節分祭では大元宮内院の特別参拝ができます。
疫神祭では災禍をもたらす疫神に「荒ぶる事なく山川の清き地に鎮まります」と門外に向かって神事が行われます。
追儺式(鬼やらい神事)は古式に則って厳修に行われ、黄金四つ目の仮面を被った方相氏(ほうそうし)が松明を持った童子とともに現れ、赤鬼・青鬼・黄鬼を追い詰め、悪鬼を追い払う呪力を持つ桃弓(もものゆみ)から葦矢(あしのや)を放って鬼を払います。
火炉祭では三ノ鳥居前に火炉を設け、古神符守札に宿る神霊を神籬に移し、元の御座に還るように浄火で焚き上げます。
- 節分は元々季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
- 追儺は平安時代初期から大晦日に宮中で行われている鬼払いの儀式です。追儺は鬼やらい・鬼遣らい・儺(な)やらい・鬼儺・大儺(たいだ)・駆儺(くだ)などとも言われています。追儺では黄金四つ目の面を付け、右手に矛、左手に楯を持った方相氏(ほうそうし)などが大内裏の中を「鬼やらう」と大声を掛けながら鬼を追い払って回りました。ただその後方相氏は追い払う側から追い払われる側に変わったそうです。なお追儺は文武天皇(697年~707年) の時代に中国から伝わったとも言われています。
【吉田神社 歴史・簡単概要】
吉田神社(よしだじんじゃ)は平安時代前期の859年(貞観元年)に中納言・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が平安京の鎮守神として、藤原氏の氏神である奈良・春日大社(かすがたいしゃ)に祀られている四座の神(建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)・伊波比主命(いはいぬしのみこと)・天之子八根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ))を吉田山に勧請したのが起源です。吉田山は古くから「神が集いし岡」を意味する神楽岡(かぐらおか)と言われています。平安時代中期の987年(永延元年)に吉田祭が公祭になり、991年(正暦2年)に二十二社の前身である十九社奉幣に加列されました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって本殿が焼失したとも言われています。文明年間(1469年~1486年)に神道家・吉田兼倶(よしだかねとも)が室町幕府第8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の妻・日野富子(ひのとみこ)などの寄進により、吉田神道(唯一神道)を創始し、天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)を祀る斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)を建立したと言われています。
*参考・・・吉田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【吉田神社節分祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
節分祭では抽せん券付厄除福豆(有料)が授与されます。(要確認)
吉田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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