今熊野観音寺お砂踏法要2025年9月21日~23日(四国八十八カ所)

今熊野観音寺お砂踏法要(日程・アクセス・概要)
今熊野観音寺お砂踏法要(日程時間など)を紹介しています。お砂踏法要は例年9月21日~23日に行われています。お砂踏法要は弘法大師・空海ゆかりの四国八十八カ所の各霊場からお砂を取り寄せ、お砂踏道場に八十八カ所の霊場の本尊を祀ってお砂を敷き、それを踏みながら参拝することにより、四国の各霊場を巡拝したのと同じ功徳を積むことができます。(詳細下記参照)
【今熊野観音寺お砂踏法要2025 日程時間(要確認)】
今熊野観音寺お砂踏法要2025は2025年(令和7年)9月21日(日曜日)~23日(火曜日)9:00~16:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・今熊野観音寺ホームページ
【今熊野観音寺お砂踏法要 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区泉涌寺山内町32
最寄り駅・バス停・・・泉涌寺道(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から今熊野観音寺は208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町202系統
路線・時刻表・運賃チェック
【今熊野観音寺お砂踏法要 歴史・簡単概要】
今熊野観音寺お砂踏法要(おすなふみほうよう)は1953年(昭和28年)頃から始まりました。
お砂踏法要は真言宗の開祖である弘法大師・空海ゆかりの四国八十八カ所の各霊場から聖地のお砂を取り寄せ、大講堂の大広間に設けたお砂踏道場に八十八カ所の霊場の本尊を祀ってお砂を敷き、それを踏みながら参拝することにより、京都いながら四国の各霊場を巡拝したのと同じ功徳を積むことができます。なおお砂踏法要では参拝者が着る白衣(おいずる)には八十八カ所の霊場の御朱印が押されています。
お砂踏法要では先ず参拝券と納札を受け取り、塗香を両手に塗り、八十八カ所の霊場の御朱印が押されたおいずるを着ます。その後お砂をしっかりと踏みしめ、納札を納めながらお参りします。
四国八十八カ所巡礼(お遍路)は平安時代末期の弘法大師・空海信仰が盛んであった時代に始まったと言われています。四国八十八カ所巡礼では弘法大師・空海ゆかりの88の寺院(徳島23か寺・高知16か寺・愛媛26か寺・香川23か寺)を巡ります。1番から順番通り巡礼することを「順打ち」、逆に巡礼することを「逆打ち(さかうち)」と言い、「逆打ち」は道に迷うなどの苦労も多いことから「順打ち」の3倍のご利益があるとも言われています。なお四国八十八カ所巡礼は全行程約1千3百キロで、歩くと約2カ月掛かると言われています。(個人差あり)
【今熊野観音寺 歴史・簡単概要】
今熊野観音寺は807年(大同2年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が熊野権現の霊示を受け、自ら一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻んで草庵に安置したのが起源と言われています。空海は熊野権現の化身である白髪の老翁から一寸八分の十一面観世音菩薩像を授かり、自ら刻んだ十一面観世音菩薩の体内仏として納めました。812年(弘仁3年)に空海が第52代・嵯峨天皇の勅旨により、官財を賜って諸堂を建立し、天長年間(824年~833年)に完成したと言われています。その後左大臣・藤原緒嗣の発願により、広大な寺地に伽藍の整備が開始され、藤原緒嗣が亡くなると藤原緒嗣の菩提を弔う為に子・藤原春津が引継ぎ、855年(斉衡2年)に完成させたと言われています。1160年(永暦元年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が離宮・法住寺殿の鎮守社として、新熊野神社を創建した際、本尊・十一面観音菩薩像を本地仏に定め、山号「新那智山」を授け、寺号を観音寺に改めました。室町時代(1336年~1573年)中期に応仁の乱で焼失したが、その後復興しました。1580年(天正8年)に本格的な復興が開始され、奥の院の順礼堂が建立されていた場所に本堂が建立されるようになりました。1712年(正徳2年)に宗恕祖元が本堂を再建しました。
*参考・・・今熊野観音寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【今熊野観音寺お砂踏法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
今熊野観音寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報















