楞厳寺椿見ごろ2024(2月中旬~3月上旬頃)
楞厳寺椿見ごろ(見頃)
楞厳寺椿見ごろ(イベント・・・)を紹介。楞厳寺には境内にボダイジュ・サルスベリとともに三古木に数えられている樹齢約400年の椿の古木・散り椿が植えられています。椿の古木は鮮やかに赤色・白色・ピンク色の三色に咲き分けます。なお楞厳寺は「関西花の寺25ヶ所」の第2番札所に数えられています。(詳細下記参照)
【楞厳寺椿見ごろ(例年時期)】
楞厳寺の椿見ごろは例年2月中旬頃~3月上旬頃です。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都椿名所・見ごろ
【楞厳寺椿見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府綾部市舘町楞巌寺6
最寄り駅・バス停・・・舘(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR綾部駅からあやバス・志賀南北線
【楞厳寺椿見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
楞厳寺は京都で知られている椿の名所です。楞厳寺の椿見ごろは例年2月中旬頃~3月上旬頃です。
楞厳寺には境内にボダイジュ(菩提樹)・サルスベリ(百日紅)とともに三古木に数えられている樹齢約400年の椿の古木・散り椿が植えられています。椿の古木は鮮やかに赤色・白色・ピンク色の三色に咲き分けます。椿の古木は樹高約4.5メートル・幹回り約1.5メートルです。なお楞厳寺は関西にある「花の寺」で結成された「関西花の寺25ヶ所」の第2番札所に数えられています。
三古木は綾部の古木名木100選に選ばれています。ボダイジュは樹齢約500年で、初夏に白い花が咲きます。サルスベリは樹齢約400年です。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。
「関西花の寺25ヶ所」は第1番・丹州觀音寺、第2番・楞厳寺、第3番・金剛院、第4番・高源寺、第5番・高照寺、第6番・隆国寺、第7番・如意寺、第8番・應聖寺、第9番・鶴林寺、第10番・摩耶山天上寺、第11番・永澤寺、第12番・久安寺、第13番・法金剛院、第14番・興聖寺、第15番・岩船寺、第16番・浄瑠璃寺、第17番・般若寺、第18番・白毫寺、第19番・長岳寺、第20番・石光寺、第21番・當麻寺西南院、第22番・船宿寺、第23番・金剛寺、第24番・子安地蔵寺、第25番・観心寺です。
【楞厳寺 歴史・簡単概要】
楞厳寺(りょうごんじ)・丹波のカラス寺は起源が明確ではありません。楞厳寺は寺伝によると奈良時代中期頃の天平年間(729年~748年)に林聖上人が創建したとも言われています。楞厳寺は当初吉祥院(きちじょういん・きっしょういん)とも称していました。ちなみに楞厳寺の寺号はサンスクリットの「シューランガマ」の音訳「首楞厳(しゅりょうごん)」に由来しています。その後時代の変遷と度々兵火に見舞われ、伽藍の大部分が焼失し、古文書などの多くが散逸しました。歴代住職の記録も失われました。1349年(貞和5年)の敷地紛失状によると南北朝時代の1337年(延元2年・建武4年)の兵火によって広大な寺領が奪われました。室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の執事で、丹波の守護となる北朝方・仁木頼章(にっきよりあき)の軍勢が南朝方の軍勢と戦って楞厳寺が焼失したとも言われています。江戸時代中期の1703年(元禄16年)から1708年(宝永5年)に中興開山・盛長法印が現在の本堂を再建し、50年後の1758年(宝暦8年)に現在の庫裡が建立されました。2002年(平成14年)春に本堂の改築が始まり、2003年(平成15年)秋に完成しました。本堂の格天井には円山應挙直系8代目の日本画家・円山慶祥とその弟子・真祥による花の絵が96面描かれています。なお楞厳寺は本尊として薬師瑠璃光如来を安置しています。
楞厳寺は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・楞厳寺(アクセス・歴史・・・)
【楞厳寺椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
楞厳寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報