妙心寺山門懺法会2025年6月18日(日程時間・・・)

山門懺法会

妙心寺山門懺法会

妙心寺山門懺法会(日程・時間・・・)を紹介しています。山門懺法会は例年6月18日に行われています。山門懺法会では日頃知らず知らずの内に犯している自らの過ちを懺悔する仏事です。山門懺法会では妙心寺山内の全僧侶が本尊である観世音菩薩・十六羅漢などが祀られている山門(重要文化財)の楼上に集まって法要を行います。(詳細下記参照)

【妙心寺山門懺法会2025 日程時間(要確認)】
妙心寺山門懺法会2025は2025年(令和7年)6月18日(水曜日)9:00~10:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・妙心寺ホームページ

【妙心寺山門懺法会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区花園妙心寺町64
最寄り駅・バス停・・・妙心寺前(徒歩約3分)、妙心寺北門前(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から妙心寺は26系統(D3乗り場)北
*四条烏丸からは26系統北、91系統前
*四条河原町からは10系統北
*河原町丸太町からは10系統北、93系統前
路線・時刻表・運賃チェック

*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は花園駅(徒歩約5分)
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は妙心寺駅(徒歩約3分)

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【妙心寺山門懺法会 歴史・簡単概要】
妙心寺山門懺法会(さんもんざんほうえ)では日頃知らず知らずの内に犯している自らの過ちを懺悔する仏事です。山門懺法会では妙心寺山内の全僧侶が本尊である観世音菩薩(円通大士坐像)・善財童子・月蓋長者・十六羅漢が祀られている山門の楼上に集まって法要を行います。なお山門懺法会では普段非公開の山門内部が特別拝観できます。
山門(重要文化財)は1599年(慶長4年)に建立され、京都では東福寺の山門(三門)・大徳寺の山門に次いで古い山門建築とも言われています。山門は五間三戸の二重門(二階建て)で、柱などには極彩色で飛天・鳳凰・飛龍・迦陵頻伽(がりょうびんが)などが描かれています。なお山門は高さは約16メートルで、本瓦葺の入母屋造です。
山門・三門は寺院の正門です。山門は本来山上に建てられた寺院の門のことを言っていたが、現在は平地に建てられた寺院の門のことも言います。
●妙心寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
妙心寺歴史(花園天皇・宗峰妙超・関山慧玄)
●妙心寺の見どころ(法堂・仏殿など)を紹介しています。
妙心寺見どころ(法堂・仏殿など)

【妙心寺 歴史・簡単概要】
妙心寺(みょうしんじ)は鎌倉時代後期に花園上皇(第95代・花園天皇)の花園御所(離宮・萩原殿)があった場所です。またかつて公卿の邸やお花畑などもあり、花園と言われるようになったそうです。妙心寺は南北朝時代の1335年(建武2年)に花園上皇が落飾して法皇になり、花園御所を禅寺に改めることを発願したのが起源です。ただ1337年(延元2年・建武4年)に花園法皇の禅の師である大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が亡くなった為、1342年(興国3年)に宗峰妙超が推挙した高弟・関山慧玄(かんざんえげん)が美濃から京に戻ってから開山になりました。正法山妙心寺の山号・寺号は宗峰妙超が命名しました。室町時代の1398年(応永5年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の祈願所になったが、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって伽藍の多くが焼失しました。1477年(文明9年)に妙心寺の六祖と言われる雪江宗深(せっこうそうしん)が第103代・後土御門天皇の勅と室町幕府管領・細川勝元(ほそかわかつもと)・細川政元(ほそかわまさもと)親子らの援助によって再興しました。
妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山です。
*参考・・・京都・妙心寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【妙心寺山門懺法会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
山門懺法会では撮影禁止です。
妙心寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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