鞍馬寺竹伐り会式2025年6月20日(日程時間・・・)
鞍馬寺竹伐り会式
鞍馬寺竹伐り会式(日程・時間・・・)を紹介しています。竹伐り会式は例年6月20日に行われています。勝負伐り(竹伐り会式)では僧兵姿の鞍馬法師が近江座(おうみざ)・丹波座(たんばざ)の両座に分かれ、大蛇に見立てた長さ約4メートル・太さ約10センチの青竹を裂帛の気合とともに山刀でに伐り、その早さによって豊凶を占います。(詳細下記参照)
【鞍馬寺竹伐り会式2025 日程時間(要確認)】
鞍馬寺竹伐り会2025は2025年(令和7年)6月20日(金曜日)14:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・鞍馬寺ホームページ
【鞍馬寺竹伐り会式 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区鞍馬本町1074
最寄り駅・バス停・・・鞍馬駅(徒歩約1分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*叡山電鉄町柳駅からは鞍馬線
【鞍馬寺竹伐り会式 歴史・簡単概要】
鞍馬寺竹伐り会式(たけきりえしき)は平安時代の寛平年間(889年~898年)に峯延上人(ぶえんしょうにん)が護摩修行中、鞍馬山の北の峰から現れた雄蛇(大蛇)を法力(仏法の力)で倒し、朝廷から派遣された人夫が龍ヶ獄に捨てたという故事に因む仏事です。なお雌蛇(大蛇)も現れたが、峯延上人は鞍馬寺の本尊・尊天(毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊)に供える香水(こうずい)を守護することを誓わせて逃がしたと言われています。ちなみに雌蛇は境内にある閼伽井護法善神社(あかいごほうぜんじんじゃ)に祀られています。
竹伐り会式では先ず青竹の長さを切り揃える竹ならしや龍に因んだ舞楽が奉納されます。その後僧侶が檜扇(ひせん)を振り上げると勝負伐りが始まります。勝負伐りでは僧兵姿の鞍馬法師が近江座(おうみざ)・丹波座(たんばざ)の両座に分かれ、大蛇に見立てた長さ約4メートル・太さ約10センチの青竹を裂帛の気合とともに山刀で五段(五分割)に伐り、その早さによって豊凶を占います。ちなみに勝負伐りで勝った方が豊作とされています。なお伐られた青竹の破片を持ち帰ると魔除け・厄除け・無病息災のご利益があるとも言われています。
竹伐り会式では豊凶だけでなく、水への感謝を捧げ、破邪顕正も祈願します。竹伐り会式では雄蛇に見立てた根の無い青竹と雌蛇に見立てた根の付いた青竹が用意されるが、竹伐り会式に使われるのは峯延上人の故事に因んで、雄蛇に見立てた根の無い青竹です。ちなみに雌蛇に見立てた根の付いた青竹も峯延上人の故事に因んで、山に再び戻されるそうです。竹伐り会式では近江座と丹波座に分かれが、両座に分かれるようになったのは江戸時代中期だそうです。なお勝負伐りを行う鞍馬法師は数日前から精進潔斎・六根清浄に専念すると言われているそうです。
●鞍馬寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
鞍馬寺歴史(鑑禎上人・牛若丸(源義経))
●鞍馬寺の見どころ(本殿金堂・奥の院魔王殿など)を紹介しています。
鞍馬寺見どころ(本殿金堂・奥の院魔王殿など)
【鞍馬寺 歴史・簡単概要】
鞍馬寺(くらまでら)は寺伝によると奈良時代末期の770年(宝亀元年)に律宗の開祖・鑑真和上(がんじんわじょう)の高弟・鑑禎上人(がんていしょうにん)が毘沙門天を祀る草庵を結んだのが起源とも言われています。鑑禎上人が寅の夜の夢告と白馬の導きにより、鞍馬山に登った際に鬼女に襲われ、毘沙門天に助けられたとも言われています。その後796年(延暦15年)に造東寺長官・藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が観世音菩薩を奉安する一宇の建立を念願し、伽藍を整備して毘沙門天を奉安し、千手観音を造仏して祀り、平安時代には京都の北方を守護する寺として信仰されました。寛平年間(889年~897年)に東寺(教王護国寺)の僧・峯延(ぶえん)が入寺して真言宗に改められるが、12世紀に天台宗に改められて青蓮院(しょうれんいん)の末寺になりました。その後1126年(大治元年)・1814年(文化11年)・1945年(昭和20年)など度々焼失したと言われています。なお1947年(昭和22年)住職・信楽香雲(しがらきこううん)が鞍馬弘教を開宗し、1949年(昭和24年)に天台宗から独立しました。
鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山です。
*参考・・・鞍馬寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【鞍馬寺竹伐り会式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
鞍馬寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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