十輪寺塩竈清祭2024/11/23(日程時間・・・)
十輪寺塩竈清祭
十輪寺塩竈清祭(日程・時間・・・)を紹介しています。塩竈清祭は例年11月23日に行われています。塩竈清祭は在原業平が大原野神社に参詣した二条后に塩竈で塩を焼く紫煙で変わらぬ思いを伝えたという故事に因む行事です。塩竈清祭では境内裏山にある塩竈の前で三弦に合わせて読経が行われます。その後塩竈にはお清めの火が入れられます。(詳細下記参照)
【十輪寺塩竈清祭2024 日程時間(要確認)】
十輪寺塩竈清祭2024は2024年(令和6年)11月23日(土曜日)13:30から行われます。(現在確認中・要注意)
【十輪寺塩竈清祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市西京区大原野小塩町481番地
最寄り駅・バス停・・・小塩(徒歩約1分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*阪急電鉄京都本線・東向日駅からは66系統善峯寺行き
*JR・向日町駅からは66系統善峯寺行き
阪急バス・アクセスダイヤ
【十輪寺塩竈清祭 歴史・簡単概要】
十輪寺塩竈清祭(しおがまきよめのまつり)・塩竈清め祭は六歌仙・三十六歌仙の一人である在原業平(ありわらのなりひら)が大原野神社(おおはらのじんじゃ)に参詣した二条后(藤原高子)に塩竈で塩を焼く紫煙で変わらぬ思いを伝えたという故事に因む行事です。ちなみに平安時代には塩焼きが貴族の野遊びのひとつとして行われていたそうです。
塩竈清祭では境内裏山にある塩竈の前で三弦に合わせて読経が行われます。その後塩竈にはお清めの火が入れられます。なお塩竈清祭では所願成就の祈祷も行われます。
在原業平は平安時代初期の貴族・歌人で、「伊勢物語」の主人公とも言われています。在原業平は825年(天長2年)に父・阿保親王(平城天皇の第1皇子)と母・伊都内親王(桓武天皇の皇女)の間に生まれ、蔵人・左兵衛権佐・左近衛権少将・蔵人頭などを歴任し、晩年に十輪寺に隠棲したとも言われ、880年(元慶4年)5月28日に56歳で亡くなりました。なお在原業平は二条后(藤原高子)に変わらぬ恋心を伝えたということから十輪寺には縁結びのご利益があるとも言われています。
二条后(藤原高子)は842年(承和9年)に父・藤原長良と母・藤原総継の娘・乙春の間に生まれ、859年(貞観元年)に五節の舞姫に選ばれ、在原業平に見初められたと言われているが、866年(貞観6年)に清和天皇の女御になり、868年(貞観10年)に貞明親王(陽成天皇)を生み、870年(貞観12年)には貞保親王を生みます。
大原野神社は784年(延暦3年)桓武天皇が平城京から長岡京に遷都した際、桓武天皇の后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請し、桓武天皇が鷹狩を行った大原野に祀ったの起源です。なお藤原氏では女の子が生まれると中宮や皇后になれるように大原野神社に祈願し、祈願が叶うと行列を整えて参拝することが恒例になっていたそうです。
【十輪寺 歴史・簡単概要】
十輪寺(じゅうりんじ)・業平寺(なりひら寺)は850年(嘉祥3年)に第55代・文徳天皇が染殿皇后(藤原明子・ふじわらのめいし)の安産を祈願する為、天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄作の延命地蔵を安置したのが起源と言われています。その後第51代・平城天皇の孫で、六歌仙・三十六歌仙の一人である在原業平(ありわらのなりひら)が隠棲したことから業平寺(なりひらでら)と言われるようになりました。在原業平は大原野神社(おおはらのじんじゃ)に参詣した第52代・清和天皇の二条后(藤原高子・ふじわらのこうし)に塩竈の紫煙で変わらぬ思いを伝えたとも言われています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって衰退し、寛文年間(1661年~1673年)に藤原北家師実流の花山院家(清華家)21代当主・花山院定好(かざんいんさだよし) が再建し、1750年(寛延3年)には現在の本堂が再建されました。なお十輪寺は本尊・延命地蔵菩薩(秘仏)を安置し、京都洛西観音霊場の第三番札所です。
十輪寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・十輪寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【十輪寺塩竈清祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
十輪寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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