総見院椿見ごろ2021(早春~)

総見院椿見ごろ

総見院椿見ごろ(イベント・・・)を紹介。総見院には安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶人・千利休から譲り受けて植え 秀吉がこよなく愛したとも言われる胡蝶侘助椿(こちょうわびすけつばき)が植えられています。胡蝶侘助椿は樹齢約400年で、日本最古の胡蝶侘助椿とも言われています。(詳細下記参照)

【総見院椿見ごろ(要確認)】
総見院の椿見ごろは例年早春からです。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。

【総見院椿見ごろ アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市北区紫野大徳寺町59
最寄り駅・バス停・・・大徳寺前(徒歩約5分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から総見院は101系統(B2乗り場)、205系統(B3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは12系統、205系統
*四条烏丸からは12系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

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【総見院椿見ごろ 歴史・簡単概要】
総見院は京都で良く知られている椿の名所です。総見院の見ごろは例年早春からです。
総見院には安土桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が茶人・千利休(せんのりきゅう)から譲り受けて植え 秀吉がこよなく愛したとも言われる胡蝶侘助椿(こちょうわびすけつばき)が植えられています。胡蝶侘助椿は樹齢約400年で、日本最古の胡蝶侘助椿とも言われています。胡蝶侘助椿は樹高約6.4メートルで、枝が3本に分かれ、小さな紅白の花を咲かせます。なお胡蝶侘助椿は京都市の天然記念物に指定され、近くに「豊公遺愛わびすけ」の碑が建立されています。
豊臣秀吉は1537年(天文6年)に織田信長の足軽(百姓)・木下弥右衛門と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(天瑞院)の間に生まれました。先ず今川氏の家来で、頭陀寺城城主・松下之綱に仕え、1554年(天文23年)頃から戦国大名・織田信長に仕えました。1561年(天正9年)に浅野長勝の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後数々の戦功を重ねて頭角を現し、1582年(天正10年)の本能寺の変後に山崎の戦いで明智光秀を破り、京都の支配権を掌握しました。その後四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げました。ちなみに1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。なお豊臣秀吉は1598年(慶長3年)に62歳で伏見城内で亡くなりました。
千利休は1522年(大永2年)に田中与兵衛と月岑妙珎の子として和泉国堺に生まれました。17歳から茶の湯を習い、先ず茶匠・北向道陳に師事し、その後茶人・武野紹鴎に師事しました。1544年(天文13年)に松屋久政らを招いて茶会を開き、その後堺の実質的支配する三好氏の御用商人になりました。1569年(永禄12年)に今井宗久・津田宗及とともに織田信長の茶頭になりました。1582年(天正10年)の本能寺の変後に関白・豊臣秀吉に仕えて茶頭になりました。1585年(天正13年)に秀吉が禁中茶会を催した際、号・利休居士を与えられ、天下一の茶人(茶湯者)としての地位を確立し、1587年(天正15年)に秀吉による北野大茶湯も主管しました。また秀吉の政事にも関わたが、1591年(天正19年)に突然秀吉の逆鱗に触れ、1591年(天正19年)4月21日に切腹を命じられました。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。

【総見院 歴史・簡単概要】
総見院(そうけんいん)は1583年(天正11年)に関白・豊臣秀吉が1582年(天正10年)の本能寺の変で自刃した織田信長の一周忌追善法要の為に菩提寺として創建しました。総見院の名称は織田信長の法名・総見院殿贈大相国一品泰厳大居士(そうけんいんでんぞうだいしょうこくいっぽんたいげんだいこじ)に由来しています。ちなみに豊臣秀吉は当初織田信長が父・織田信秀の追善菩提の為に創建した大徳寺の塔頭・黄梅院(おうばいいん)を菩提寺として増改築したが、「小なり」として総見院を創建しました。明治維新後の廃仏毀釈によって伽藍の多くが破却され、大正時代に再建されました。1961年(昭和36年)に大徳寺に安置されていた織田信長木像が戻され、380年忌が行われました。なお大徳寺(だいとくじ)は1315年(正和4年)に臨済宗の僧である大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が赤松円心(あかまつえんしん)の帰依を受け、紫野に小堂・大徳庵を建立したのが起源とも言われています。
総見院は臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺の塔頭です。
*参考・・・総見院(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【総見院椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
総見院(アクセス・見どころ・・・)情報

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