北白川天神宮高盛御供2019/10/6(日程・時間・・・)

北白川天神宮高盛御供

北白川天神宮高盛御供(日程・時間・・・)を紹介しています。高盛御供は体育の日の前日の日曜日に行われる秋季大祭還幸祭の1週間前の日曜日に行われています。高盛御供では北白川天神宮に伝わる高盛という神饌を神前に供えます。神饌にはカワラケの皿に味噌を繋ぎに円錐形に盛上げた小芋・大根なます・刻みスルメなどがあります。(詳細下記参照)

【北白川天神宮高盛御供2019 日程時間(要確認)】
北白川天神宮高盛御供2019は2019年(令和元年)10月6日(日曜日)8:00から行われます。

【北白川天神宮高盛御供 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市左京区北白川仕伏町8
最寄り駅・バス停・・・北白川別当町(徒歩約8分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

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【北白川天神宮高盛御供 歴史・簡単概要】
北白川天神宮高盛御供(たかもりごく)は794年(延暦13年)の平安京遷都以前から行われ、平安京遷都以前の素朴な神饌(しんせん)の姿を現在に伝えているとも言われています。なお高盛御供は体育の日の前日の日曜日に行われる秋季大祭還幸祭(しゅうきたいさいかんこうさい)の1週間前の日曜日に行われています。ちなみに高盛御供はかつて卯の刻(夜明けの午前6時を中心とする約2時間)に行われていたそうです。
高盛御供では北白川天神宮に古くから伝わる高盛という神饌を神前に供えます。神饌にはカワラケの皿(素焼きの土器)に味噌(みそ)を繋ぎに円錐形に盛上げた小芋(こいも)・大根なます・刻みスルメ(鯣)、そして注連縄(しめなわ)を掛けて盛り重ねられた米飯・白酒の御神酒桶・トビウオ(飛魚)をのせた豆腐・シイラ・柿・栗・枝豆などの山の幸・海の幸などがあります。神饌は数日前から準備が始まり、沐浴斎戒(さいかいもくよく)した盛方衆が夜を徹して調製し、早朝に黒木錦の着物に丸帯・紅色の前垂・白足袋姿の白川女(しらかわめ)が神饌を槽(ふね)に載せて奉納します。なお神饌は鉾と言われる町内の3組が奉納し、鉾によって神饌は少し異なるそうです。
御供(ごく・ごくう)は神仏への供え物(そなえもの・供物(くもつ))・お供えのことです。人間を神への生贄(いけにえ)とする場合、人身御供(ひとみごくう)と言われます。

【北白川天神宮 歴史・簡単概要】
北白川天神宮(きたしらかわてんじんぐう)は起源が明確ではありません。北白川天神宮は飛鳥時代(592年(崇峻天皇5年)~710年(和銅3年))に久保田の森に少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀った天使大明神(天使社)が起源とも言われています。また平安時代の延喜年間(901年~923年)以前から祀られていたとも言われています。その後室町時代の文明年間(1469年~1486年)に室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)が東山山荘(ひがしやまさんそう・銀閣寺(ぎんかくじ))の造営した際に都の鬼門に当たる現在の千古山明神の森に移したと言われています。江戸時代前期の寛文年間(1661年~1673年)に第107代・後陽成天皇の皇子で、照高院第5代・道光法親王(どうこうほっしんのう・道晃法親王)が天使大明神から天神宮に名称を改め、祈願所にしました。道光法親王は聖護院第28世門跡・園城寺長吏・天皇の護持僧を歴任し、1658年(万治元年)頃に白川照高院に移って照高院門跡になり、堂宇を復興しました。なお北白川天神宮は少彦名命を祀っています。また天照皇大神・春日社・八幡社・日吉社・加茂社・稲荷社なども祀られています。
*参考・・・北白川天神宮(アクセス・歴史・見どころ・・・)

【北白川天神宮高盛御供 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
北白川天神宮(アクセス・見どころ・・・)情報

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