通し矢+大根焚き2019/1/13(日程・時間・・・)

三十三間堂通し矢

通し矢+大根焚き

通し矢(三十三間堂)と大根焚き(法住寺)のはしご情報を紹介しています。2019年1月13日には三十三間堂で通し矢(大的大会)・楊枝のお加持が行われ、三十三間堂のすぐ東側の法住寺で大根焚きが行われます。ちなみに三十三間堂と法住寺は通りを挟んですぐ隣になります。(詳細下記参照)

【通し矢・大根焚き2019 日程時間(要確認)】
●通し矢2019は2019年1月13日(日曜日)に行われます。
●大根焚き2019は2019年1月13日(日曜日)9:00~16:00まで行われます。なくなり次第終わりとなります。
●楊枝のお加持2019は2019年1月13日(日曜日)9:00~15:30まで行われます。

【通し矢・三十三間堂 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
最寄り駅・バス停・・・博物館・三十三間堂前(徒歩すぐ)、東山七条(徒歩すぐ)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から三十三間堂は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約5分)

法住寺(アクセス・見どころ・・・)

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【通し矢 歴史・簡単概要】
三十三間堂通し矢(とおしや)・大的大会(おおまとたいかい)は江戸時代に各藩の弓術家が本堂の軒下で矢を射った大矢数(おおやかず)に因んだ行事です。大矢数は一昼夜に何本射通したかを競ったものだそうです。なお新成人による通し矢は1951年(昭和26年)から行われています。
通し矢では約120メートルある本堂の西側に射場が設置されます。通し矢では成人を迎えた男女の弓道有段者や称号者が約60メートル先の大的を射って腕を競います。大的は新成人の男女が1メートル、称号者が79センチです。ただ決勝では新成人の男女が79センチ、称号者が50センチと小さくなります。ちなみに決勝は射た2本の矢が全て的に的中した皆中者で行われます。
三十三間堂通し矢

【大根焚き 歴史・簡単概要】
法住寺大根焚き(だいこんだき)・無病息災大根焚きでは本尊・身代不動明王に祈願した大根焚きを振舞い、1年の無病息災を祈願します。
大根焚きでは大根焚きを振舞うだけでなく、不動堂で無病息災を祈願する護摩供(ごまく)が行われます。また大根焚きでは牛王宝印(ごおうほういん)の加持も行われます。僧侶が参拝者の額に宝印を押し、厄除けの護符を授けます。なお大根焚きでは阿弥陀堂に安置されている後白河法皇像(御前立像)が特別開扉されます。後白河法皇像は仏教において最も丁寧な礼拝である五体投地(ごたいとうち)を表すとも言われている両手・両足の裏が上を向いて座っている珍しい姿をしています。
三十三間堂楊枝のお加持

【楊枝のお加持 歴史・簡単概要】
三十三間堂楊枝のお加持(やなぎのおかじ)はインド伝来の修法で、平安時代から行われている最重の法要です。楊枝のお加持では聖樹(霊木)とされる楊枝(やなぎ)で、本尊・千手観音坐像(国宝)前で7日間祈祷した法水(浄水)を参拝者に注ぎ、諸病を除きます。楊枝のお加持は第77代・後白河天皇の故事から頭痛に特に効くと言われています。
楊枝のお加持には次のような故事が残されています。頭痛持ちの後白河天皇は前世が熊野の修行僧・蓮華坊で、その髑髏が熊野・岩田川に沈み、髑髏を貫いて柳が生え、風に揺られ、柳が髑髏に当たることが頭痛の原因になっており、髑髏を引き上げて観音像の頭に納めて祀り、柳を三十三間堂の棟木に使うと後白河天皇の頭痛は解消され、楊枝のお加持の由来にもなったとも言われています。
三十三間堂楊枝のお加持

【三十三間堂 歴史・簡単概要】
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)・蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)は平安時代の988年(永延2年)に太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が造営した私邸があった場所とも言われています。その後989年(永祚元年)に為光が妻と第65代・花山天皇の女御だった娘の菩提を弔う為に法住寺(ほうじゅうじ)を創建したが、1032年(長元5年)の火災によって焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が法住寺跡に離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を営み、三十三間堂は1165年(長寛2年)に後白河上皇が平清盛(たいらのきよもり)に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿の一画に創建されたのが起源です。ただ1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)が本堂(三十三間堂)のみを再建しました。その後室町幕府第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が修復し、関白・豊臣秀吉が東山大仏(方広寺)を建立した際、土塀や門などが整備されたと言われています。なお三十三間堂の名称は間面記法による表記「三十三間四面」に由来しています。三十三は観音に縁のある数字で、法華経などによると観音菩薩が三十三種の姿に変じ、衆生を救うと説かれています。
三十三間堂は天台宗・妙法院の境外仏堂です。
*参考・・・三十三間堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ三十三間堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【法住寺 歴史・簡単概要】
法住寺(ほうじゅうじ)は989年(永祚元年)に太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が妻と第65代・花山天皇の女御だった娘・藤原し子(弘徽殿(こきでんの)の女御)の菩提を弔う為に創建したのが起源と言われています。985年(寛和元年)6月に妻、7月に娘が相次いで亡くなったそうです。その後1032年(長元5年)の火災によって焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が法住寺跡に離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を営み、1160年(永暦元年)に新日吉神社、1163年(長寛元年)に三十三間堂(蓮華王院)が創建され、1176年(安元2年)に後白河上皇の女御・建春門院(平滋子(たいらのしげこ))が亡くなると建春門院の御陵として法華堂が建立されました。しかし1183年(寿永2年)に木曽義仲によって焼き討ちされ、1192年(建久3年)に後白河上皇が亡くなると新たに法華堂が建立され、上皇の御陵に定められました。その後三十三間堂の本坊で、天台三門跡に数えられた妙法院門跡(みょうほういんもんぜき)の院家として、法住寺陵と妙法院歴代門跡法親王の墓を守ってきました。
法住寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・法住寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ法住寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【通し矢・大根焚き 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
通し矢では拝観料が無料になります。
三十三間堂(アクセス・見どころ・・・)情報
三十三間堂見所ランキング

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