宇治上神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説(菟道稚郎子皇子

宇治上神社(Ujigami Shrine)

宇治上神社の歴史を時代別年表にまとめ

宇治上神社の歴史を簡単にまとめています。宇治上神社は313年(仁徳天皇元年)に応神天皇の皇子・菟道稚郎子皇子が兄・大鷦鷯尊に皇位を譲る為に自殺し、大鷦鷯尊(仁徳天皇)が菟道稚郎子の神霊を祠に祀ったのが起源です。(時代別年表・重要人物下記参照)

宇治上神社見どころ

【磐境信仰・桐原日桁宮】

●宇治上神社には境内に巨石があり、磐境信仰(いわくらしんこう)が創祀されていた場所とも言われています。
●宇治上神社が建立されている場所は「山城国風土記(やましろこくふうどうき)」によると古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)に第15代・応神天皇(おうじんてんのう)の皇子で、第16代・仁徳天皇(にんとくてんのう)の異母弟・菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこと)の離宮・桐原日桁宮(きりはらのひげたのみや)があったとも言われています。なお「宇治」の地名は古代に「菟道」と表記され、菟道稚郎子皇子の離宮が営まれたことに由来すると言われています。

●宇治上神社は313年(仁徳天皇元年)に菟道稚郎子皇子が異母兄・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)に皇位を譲る為に自殺し、大鷦鷯尊が第16代・仁徳天皇に即位して、菟道稚郎子の神霊を祠に祀ったのが起源とも言われています。
●宇治上神社は平安時代(794年~1185年)中期に山城国国司(こくし)が第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)の勅によって社殿を建立したのが起源とも言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

●平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)成立」に「宇治神社二座 鍬靫」と記され、平安時代中期には既に祀られていたとも言われています。なお近くに祀られている宇治神社も菟道稚郎子皇子の離宮・桐原日桁宮が造営されていた場所で、かつて二社一体の存在だったと言われています。宇治上神社は宇治神社とともに宇治離宮明神・宇治離宮八幡宮と総称され、宇治上神社は上社・本宮、宇治神社は下社・若宮と言われていました。
●998年(長徳4年)に摂政・藤原道長(ふじわらのみちなが)が別荘・宇治殿(うじどの)を取得し、1052年(永承7年)に藤原道長の子で、関白・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が別荘・宇治殿の寝殿(しんでん)を本堂に改め、藤原氏の氏寺として平等院(びょうどういん)を創建すると宇治神社とともに平等院の鎮守社とされたと言われています。
●平安時代後期(1086年~1184年)に現在の本殿が建立されました。
●1067年(治暦3年)に第70代・後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)から神位(神階)が授けられたとも言われています。
●1104年(康和6年)に藤原忠実(ふじわらのただざね)が神馬を奉納したとも言われています。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

●鎌倉時代前期(1185年~1274年)に現在の拝殿が建立されたと言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●明治維新後に宇治神社と分離し、その後村社に列せられました。
●1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されました。

【宇治上神社の祭神である菟道稚郎子】

菟道稚郎子は4世紀頃に第15代・応神天皇と和珥氏(わにうじ)の宮主宅媛(みやぬしやかひめ)の皇子として生まれました。幼少の頃から書物に親しみ、日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」によると百済(くだら)から来日した阿直岐(あちき)・王仁(わに)らに典籍(てんせき・漢籍)を学びました。父・応神天皇から寵愛され、兄を差し置いて皇太子に立てられました。312年(応神天皇41年)に父・応神天皇が崩御すると天皇に即位することになったが、異母兄・大鷦鷯尊(第16代・仁徳天皇)を推し、譲り合いによって天皇の空位が3年に及んだことから皇位を譲るべく自殺したと言われています。

【宇治上神社の歴史 備考】
*参考・・・宇治上神社(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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