祇園祭長刀鉾結納の儀(6月中旬頃)
長刀鉾結納の儀
祇園祭長刀鉾結納の儀(日程・時間・・・)を紹介しています。長刀鉾結納の儀は例年6月中旬頃に行われます。結納の儀では長刀鉾保存会が稚児を長刀鉾町の養子に迎え入れます。結納の儀では稚児の両親・補佐役である禿の両親らが参列し、長刀鉾保存会の役員がお祝いの言葉とともに養子の証となる扇子などの結納の品や結納金を贈ります。(詳細下記参照)
●2023年6月2日、長刀鉾の稚児に瀧光翔君(11)、禿に髙田聡佑君(11)・石角拓也君(10)が決まりました。
★祇園祭最新情報。
【祇園祭長刀鉾結納の儀 日程時間(要確認)】
祇園祭長刀鉾結納の儀は例年6月上旬頃に行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭長刀鉾結納の儀 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区四条通烏丸東入長刀鉾町
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ
【祇園祭長刀鉾結納の儀 簡単概要】
祇園祭長刀鉾結納の儀(なぎなたほゆいのうのぎ)は例年6月中旬頃の大安の日に行われています。長刀鉾では例年6月上旬頃に10歳前後の男子から稚児(ちご)1名と禿(かむろ)2名が選ばれ、その後結納の儀が行われます。
結納の儀では長刀鉾保存会が稚児を長刀鉾町の養子に迎え入れます。稚児の自宅には祭壇が設けられ、八坂神社の祭神・祇園牛頭天皇(ぎおんごずてんのう)の軸が掛けられます。結納の儀では稚児の両親・補佐役である禿の両親らが参列し、八坂神社の神職がお祓いをし、長刀鉾保存会の役員がお祝いの言葉とともに養子の証となる扇子などの結納の品や結納金を贈ります。稚児の両親は返礼の言葉を述べ、稚児は抱負を語ります。ちなみに八坂神社の御神紋を象った紅白の菓子を食べながら懇談が行われます。
結納の儀が終了すると稚児の自宅では当主が毎朝祭壇にお供えを欠かさないよう務めます。稚児は女人禁制(にょにんきんせい)の慣習に従い、食事は母親などの女性が用意することは許されず、父親が他の人とは別の火を使って用意します。また稚児は食事中、女性と同席することもできません。
稚児は結納の儀以外にも理髪の儀・お千度・囃子方初顔合わせ・乗馬練習・禿家訪問・稚児社参・古式一里塚松飾式などの行事をこなします。
祇園牛頭天皇(牛頭天王)は神仏習合の神で、仏教の開祖・お釈迦さまが説法を行った祇園精舎の守護神とされていました。また牛頭天王は東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来の垂迹で、素戔嗚尊の本地とされました。
【長刀鉾 歴史・簡単概要】
長刀鉾(読み方:なぎなたほこ・なぎなたぼこ)は室町時代中期の1441年(嘉吉元年)またはそれ以前に創建されたと言われています。また長刀鉾は鎌倉時代前期の1225年(嘉禄元年)に八坂神社(やさかじんじゃ・祇園社(ぎおんしゃ))に寄進された長刀を鉾頭に掲げて創建されたとも言われています。長刀鉾は現在存在する祇園祭の全山鉾の中で最古の山鉾と言われています。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記(ぎおんしゃき)」第15(八坂神社記録)には「長刀ほく(四条東洞院烏丸間)」と記されています。長刀鉾の名称は山鉾の先端である鉾頭に疫病邪悪(えきびょうじゃあく)を祓う大長刀(おおなぎなた)を付けていることに由来しています。鉾頭にはかつて三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が造った長刀、戦国時代(室町時代後期)の1522年(大永2年)に三条長吉(さんじょうながよし)が造った長刀、江戸時代前期の1675年(延宝3年)に和泉守来金道(いずみのかみらいきんみち)が造った長刀が使われていたが、現在は竹に錫箔を張ったレプリカが使われています。なお長刀鉾では長刀の刃先が京都御所・八坂神社には向かないように南向きに取り付けています。
*参考・・・長刀鉾(祇園祭山鉾前祭)ホームページ
【祇園祭長刀鉾結納の儀 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
長刀鉾(ちまき販売・場所・・・)
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)