「山鉾由来記(やまぼこゆらいき)・1757年(宝暦7年)刊行」と祇園祭

「山鉾由来記・1757年(宝暦7年)刊行」と祇園祭

「山鉾由来記」は1757年(宝暦7年)に刊行され、1757年(宝暦7年)に存在していた長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾・鶏鉾・月鉾鉾など山鉾33基の由来などが記載されています。四条傘鉾は休み山だった為に記載されていません。「山鉾由来記」には山鉾だけでなく、提灯が灯され、金銀の屏風などが飾られ、華やかでだった宵山の様子も記されています。

【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【「山鉾由来記(やまぼこゆらいき)・1757年(宝暦7年)刊行」】
「山鉾由来記」は江戸時代(1603年~1868年)中期の1757年(宝暦7年)に刊行され、1757年(宝暦7年)に存在していた長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾・鶏鉾・月鉾・放下鉾・船鉾・岩戸山・観音山(北観音山)・観音山(南観音山)・占出山・牛天神山(油天神山)・木賊山・郭巨山・太子山・山伏山・孟宗山・花盗人山(保昌山)・破琴山(伯牙山)・霰天神山・白楽天山・芦刈山・橋弁慶山・鈴鹿山・黒主山・鯉山・役行者山・八幡山・浄妙山・傘鉾(綾傘鉾)・凱旋船鉾(大船鉾)・蟷螂山・鷹山の33基の由来などが記載されています。四条傘鉾は当時、休み山だった為に記載されていません。ちなみに凱旋船鉾と言われていた大船鉾は「婦人懐妊の時、この(神功皇后)尊像に腹帯を備へ祈誓して帯すれハ安産するなり、七日十四日共に舟の影に此願をする物也」と記され、妊婦が腹帯を巻くと安産のご利益があると強調されています。なお「山鉾由来記」には御神体の人形・天幕引・水引・前氈・胴掛・胴幕・洞山などが詳しく解説され、船鉾には関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が寄進した胴幕があったことが記されています。
「山鉾由来記」には「祭礼の町々、前日より提灯を夥敷ともし、幕をうち、金銀屏風、羅紗毛氈のたぐひ、他にをとらじと粧ひかざりて客をまふく」・「山の町にハ申ノ刻より人形宝物をかざり、諸人に拝せしむ。貴賤街に群をなせり」と記され、江戸時代中期頃の宵山が華やかで賑やかだったことが分かります。祇園祭の前日に山鉾町の町々に提灯(ちょうちん)が夥しく灯され、町家に幕が張られ、金銀の屏風や羅紗毛せん(らしゃもうせん)などを飾られ、町家にお客が招かれました。山鉾町では申ノ刻(午後4時頃)から御神体(ごしんたい)の人形や宝物が飾られ、一般人に公開し、身分を問わずに大勢が集まりました。江戸時代中期頃には現在と同じように虫干しを兼ねて屏風・調度品・美術工芸品などの家宝を一般公開する屏風祭や山鉾の御神体や豪華な懸装品(けそうひん)などの所蔵品を一般公開する会所飾り公開が行われていました。
ちなみに本居宣長(もとおりのりなが)が記した「在京日記(ざいきょうにっき)」1756年(宝暦6年)の条に「鉾町はさらにもいはす、祇園の産子たる町々は、のこらす家ことにてふちんかけわたし、一町々々一様のてふちん也。家々思ひ々々に幕うちすたれかけわたし、程々につけつゝ、金屏風ひきまはし、毛せんしき、燭台ともしなと、をのかしゝかさりたて、きよらをつくし、けふあすは、祭ならぬわたりの親類ちかつきよひまねきて、酒のみ物くひ遊ひ侍る。大かた夜みやの景気はいとよき物なり。」と記され、「山鉾由来記」と同様に宵山が華やかだったことが分かります。山鉾町ごとに一様の提灯が灯され、町家に幕が掛けられ、金屏風・毛せんなどが飾られ、燭台が灯されています。親族を招いて酒を飲み、食べ物を食べ、宵山を大いに楽しんでいます。
なお宵山がいつ頃から華やかで賑わうようになったかは明確ではないが、庶民に菜種油(なたねぶら)・蝋燭(ろうそく)・提灯(ちょうちん)が普及した江戸時代中期頃と言われています。かつて宵山は7月17日の神幸祭・山鉾巡行(前祭)、7月24日の還幸祭・山鉾巡行(後祭)の前夜(7月16日・23日)を指していたが、近年は人出の集中を分散させる為に14日(宵々々山)・15日(宵々山)と21日(宵々々山)・22日(宵々山)も宵山とされています。

●1685年(貞享2年)に黒川道祐(くろかわどうゆう)が刊行した「日次紀事」六月初七日の神事祇園会に「凡ソ今夜自リ十八日ノ夜ニ至テ四條河原水陸寸地ヲ漏サ不床ヲ並ベ席ヲ設ケ良賤般楽ス。東西ノ茶屋桃燈ヲ張リ行灯ヲ設ケ恰モ白昼ノ如シ。是ヲ涼ミト謂フ」と記され、祇園祭で神輿が御旅所(おたびしょ)に渡御する6月7日から神輿を鴨川で清める6月18日までの夜に四条河原で鴨川納涼床の起源と言われる涼ミが行われていたことが分かります。茶屋に燈籠(とうろう)が張られ、行灯(あんどん)が設けられ、昼間のようだっだ。1600年代末期の祇園祭では既に夜間も賑わっていたようです。

【「山鉾由来記・1757年(宝暦7年)刊行」と祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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