龍安寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

龍安寺(Ryoan-ji Temple)

龍安寺の国宝・重要文化財などの見どころ解説

龍安寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには枯山水式庭園である石庭(特別名勝・史跡)、池泉回遊式庭園である庭園(名勝)、エリザベス女王が使用した勅使門(重要文化財)などがあります。また方丈・蹲踞・蔵六庵なども見逃せません。

【枯山水式庭園である石庭(特別名勝・史跡)の見どころ解説】

★石庭(方丈庭園)は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。写真映えして人気もあります。江戸時代(1603年~1868年)に「都林泉名勝図会(みやこりんせんこめいしょずえ)」に紹介された観光名所です。石庭は油土塀(あぶらどべい)に囲まれた縦約10メートル・横約25メートル・面積約75坪の枯山水式の名園です。白砂を敷いて美しい帚目(はけめ)を付け、15個の石が一見無造作に配置されています。15個の石はどこから眺めても必ず1個の石が他の石に隠れるように意図的に配置され、「不完全さ」を表しているとも言われています。白砂の砂紋は波の重なりを表していると言われています。15個の石には裏山に多い堆積岩(たいせきがん)の一種であるチャートも使われています。龍安寺はかつて石寺とも言われました。
★石庭の歴史は寺伝によると1499年(明応8年)に方丈が建立され、その際に作庭されたとも言われています。また応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に作庭されたとも言われています。1951年(昭和26年)に油土塀の屋根が瓦葺(かわらぶき)に葺き替えられたが、1978年(昭和53年)にこけら葺(こけらぶき)に葺き替えられました。
★作庭者は明確ではありません。「小太郎・■二郎」と刻まれた石があり、作庭に関わった人物と言われています。作庭者は義天玄承(ぎてんげんしょう)、細川勝元(ほそかわかつもと)、絵師・相阿弥(そうあみ)、勝元の嫡男・細川政元(ほそかわまさもと)、茶人・金森宗和(かなもりそうわ)などの諸説があり、相阿弥説が長く信じられています。
★石庭の様式は水平ではなく、東南の隅が低く、雨水などを排水しやすくなっています。油土塀は最大高さ50センチの差があり、目の錯覚(遠近法)によるトリックで実際よりも広く見えます。油土塀は土に菜種油(なたねあぶら)を混ぜて造られています。
★石は七石(五石と二石)・五石(三石と二石)・三石の3群に分けられ、「七五三(しちごさん)の庭」とも言われます。また石庭は中国の説話「癸辛雑識(きしんざっしき)・虎の子渡し」から「虎の子渡しの庭」とも言われています。

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【池泉回遊式庭園である庭園(名勝)の見どころ解説】

★庭園は修学旅行・観光で見る価値があります。かつて石庭よりも有名で、江戸時代(1603年~1868年)に「都名所図会(みやこめいしょずえ)」に紹介された観光名所です。庭園は裏山の衣笠山(きぬがさやま)・朱山(しゅやま)を借景にし、鏡容池(きょうようち)を中心とした池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の名園です。鏡容池は境内の南側半分を占め、弁天島(べんてんじま)・伏虎島(ふしとらじま)などがあります。鏡容池はオシドリの名所で、鏡容池はおしどり池、龍安寺は鴛鴦寺(おしどりでら)と言われました。
★鏡容池の歴史はかつて灌漑(かんがい)用の溜池(ためいけ)で、それを池泉に改修したと言われています。鏡容池は平安時代(794年~1185年)に名池に数えられ、貴族が龍頭(りょうず)の船を浮かべ、歌舞音曲(かぶおんぎょく)を楽しんでいたと言われています。桃山時代(1583年~1603年)に関白・豊臣秀吉が鏡容池に霊力があるとし、礼拝していた弁財天(べんざいてん)を弁天島に祀りました。
★鏡容池周辺には桜が植えられ、桜シーズンに美しい光景が見られます。キリシマツツジ(霧島躑躅)・ヒラドツツジ(平戸躑躅)・藤・スイレン(睡蓮)・ハス(蓮)・萩なども植えられています。

【西源院の方丈を移築した方丈(重要文化財)の見どころ解説】

★方丈は石庭に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。方丈はその前に石庭が作庭されています。方丈は弥勒菩薩(みろくぼさつ)像を安置しています。また南画家・皐月鶴翁(さつきかくおう)が1953年(昭和28年)から5年掛かりで描いた龍と北朝鮮の金剛山(こんごうさん)の襖絵が飾られています。方丈にはかつて狩野派(かのうは)の絵師などが描いた襖絵90面が飾られていたが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で売却されました。
★方丈の歴史は1606年(慶長11年)に織田信長の弟・織田信包(おだのぶかね)が妙心寺(みょうしんじ)の塔頭・西源院(せいげんいん)の方丈として建立しました。その後龍安寺の方丈として移築されました。方丈は1499年(明応8年)に建立されたが、1797年(寛政9年)に焼失しました。
★方丈の建築様式は屋根が入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺です。方丈は桁行(けたゆき)21.0メートル・梁間(はりま)18.0メートルです。

【エリザベス女王が使用した勅使門(重要文化財)の見どころ解説】

★勅使門(ちょくしもん)は見逃せません。勅使門は1975年(昭和50年)に英国・エリザベス女王が来日した際、石庭を拝観する為に使用しました。勅使門は他の門と違って格式が高い門です。
★勅使門の歴史は1797年(寛政9年)に火災で焼失し、1975年(昭和50年)に妙心寺の塔頭・西源院の唐門(からもん)を移築して建立されました。1985年(昭和60年)にこけら葺が全面改修されました。
★勅使門の建築様式は屋根がこけら葺で、前後に唐破風(からはふ)があります。勅使門には牡丹唐草(ぼたんからくさ)の欄間(らんま)があります。

【本来台所で、朱印場がある庫裏の見どころ解説】

★庫裏(くり)は本来、台所だが、玄関としても使われています。庫裏は天井まで吹き抜けになっています。庫裏には朱印場(御朱印授与所)があり、御朱印「石庭」・御朱印帳「石庭・吾唯足知」などを授与しています。(要確認)
★庫裏の歴史は1797年(寛政9年)に火災で焼失したが、焼失直後に再建されました。
★庫裏の建築様式は屋根が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。

【水戸黄門が寄進した蹲踞の見どころ解説】

★蹲踞(つくばい)は水戸黄門(みとこうもん)とも言われた徳川光圀(とくがわみつくに・水戸光圀))にゆかりがあり、精密なレプリカ(複製)も造られています。蹲踞は茶室・蔵六庵(ぞろくあん)の露地に置かれています。ちなみにレプリカは方丈裏に置かれています。蹲踞は茶室に入る前に手や口を清める手水鉢(ちょうずばち)です。蹲踞には「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と刻まれています。
★蹲踞の歴史は江戸時代(1603年~1868年)前期に徳川光圀が歴史書「大日本史(だいにほんし)」を編纂する際、西源院本「太平記(たいていき)」を借り、お礼として寄進したと言われています。
★「吾唯足知」は「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」の中の「知足の者は 賎(いや)しと雖(いえど)も富めり 不知足の者は 富めりと雖も賎し」から引用され、「欲望は際限ないから現状を満ち足りたものとする」という禅の格言を表しています。

【「下り龍図」がある仏殿の見どころ解説】

★仏殿は方丈の西側に建立されています。仏殿には歴代天皇の尊牌や歴代住持(住職)位牌が安置されています。天井に武藤彰が墨(すみ)と金泥(きんでい)で描いた「下り龍図」があります。仏殿は通常非公開だが、特別公開されることがあります。
★仏殿の歴史は1981年(昭和56年)に再建されました。
★仏殿の建築様式は屋根が入母屋造の銅板葺(どうばんぶき)です。仏殿は桧造り(ひのきづくり)です。樹齢1,000年から1,200年の台湾桧(たいわんひのき)が使われています。

【蹲踞が置かれている茶室・蔵六庵の見どころ解説】

★茶室・蔵六庵は路地に蹲踞「吾唯足知」が置かれています。蔵六庵の名称は頭・尾・2本の手・2本の足、計6つを甲羅(こうら)に隠す亀を表しています。
★蔵六庵の歴史は1929年(昭和4年)に焼失し、その後再建されたと言われています。ちなみに蔵六庵は住持(じゅうじ・住職)・桂芳全久(けいほうぜんきゅう)の居室だったが、茶人・千宗旦(せんのそうたん)の門人・僖首座(きしゅそ)が茶室に改めました。蔵六庵はかつて西源院にあり、明治時代(1868年~1912年)に移築されたそうです。

●上記以外は下記リンクから確認することができます。
龍安寺見どころ(龍安寺垣・侘助椿など)

【龍安寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
龍安寺は1994年(平成6年)にユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」に登録されました。
*参考・・・龍安寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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